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2021年5月9日 主日礼拝
1.家臣の忠言「まだお分かりにならないのですか」
- モーセを通して予告された主からの災いは、みな実現していた。
7章[水を血に]、8章[蛙]、[ブヨ]、[アブ]
9章[家畜の疫病]、[人と家畜の腫れもの]、[雹]
いずれも、自然に起きる災いとも言えるが、モーセの予告通りに起こり、モーセが主に祈ることで終わることも確認していた。 - モーセは今度は[いなご]を予告した。現代でも「サバクトビバッタ」は東アフリカから南西アジアの広範囲で大被害を起こしている。そうした被害の深刻さはエジプト人も知っていただろう。
- ファラオの呪法師たちは「これは神の指です」(8:19)と言っていた。雹の時には、主のことばを恐れた家臣たちはしもべと家畜を家に避難させていた。(9:20)
- 家臣たちは「いなご」と聞いて「エジプトが滅びる」と真剣に恐れ、ファラオの怒りを恐れずに「まだお分かりにならないのですか」と進言した。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16:6)
2.ファラオの「だが」
- 家臣たちに説得され、ファラオはモーセたちを呼び戻し、「行け」と言った。
- しかしすぐに「だが」と付け加える。無条件で主に従うわけではない。
- ファラオは妻子まで一緒に行けば、二度と戻ってこないと考え、「そうはさせない」と言う。人質を確保しようとしたのだ。
- 「主がおまえたちとともにあるように」というのは、絶対にそんなことは言わないという皮肉で用いたつもりの信仰的な祝福のことば。
- 主に従うと言いつつ、条件をつけているならば、結局は従えない。主に対して人間は無条件降伏するべき。主を信頼していない人にとってそれは屈辱的だが、信頼しているならば、むしろ平安を得る。
3.モーセの態度「一緒に行きます」
- 絶対権力者であるファラオの前で、モーセは堂々と皆で一緒に行くと答えた。理由は「主の祭り」すなわち礼拝をするから。主は全ての人を愛しておられるのだから、全ての人が主の前に出るべきだと言うこと。
- ファラオを恐れて譲歩すれば、ファラオの計算通りになり、出エジプトは実現しなかっただろう。
- 拉致問題で「救う会」「家族会」は、北朝鮮側に、全員一括での帰国を求めている。それは無理だからもっと相手が受け入れやすい条件を出せばと考える人も多いが、誰かを救うことが他の誰かを見捨てることになってはいけないと考えているそうである。こう着状態の続く現状は、ファラオに相対するモーセの姿を連想させる。
- モーセが屈しなかったのは、主のことばを聞いて信じていたから。私たちも聖書を読み、いつも主のことばを聞こう。サタンは隙を狙って巧妙に人に譲歩を迫る。サタンより偉大な主のことばを毎日聞き、心にきざもう。
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