2021年2月7日 主日礼拝

マタイ 18章18節~20節
國分広士牧師

1.天と地上をつなぐ祈り

  • 「天」とは空間的な上空の意味だけでなく、神の領域を表す表現。聖書が書かれた時代と違い、航空機や宇宙船のような、人間が上空に移動する手段が存在する現代では、上空と神の領域を区別する必要がある。
  • 「地上」も、被造物の領域を表す表現であり、現代人は地球という天体を意識しやすいが、むしろ宇宙と考えるほうが近いかもしれない。宇宙全体が神の被造物なので、神が宇宙を創造する前から、神の領域である天はあった。また、地は終わりの日に神の裁きによって滅びる。第二ペテロ3:10には「その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。」とある。
  • 絶対的な領域である天と、一時的な存在である地。私たちは、はかない存在にすぎない。なのに、祈りによって、天とつながる望みがあることは驚き。

2.二人が、地上で心を一つにして祈る

  • この地上においては、互いの心は見えない。私たちは他の人の心を知りたいとは思うが、自分の心の奥底は、他人には見られたくない。もしも技術革新によって、人の心の中が見えるアプリが開発されたら、自分の心を人に見てもらいたいか?地上において、真に人と心を通わせることはまれ。
  • しかし、嘘も偽りもない天においては、互いに心を通わせることは必然なのだろう。だからこそ、主イエスによって罪があがなわれ、聖められなければ、天には入れない。もしも、この地上において、心を一つにして祈る人々がいるなら、それは天国の人々のような状態だと主は見られるのだろう。
  • 一人の祈りが無意味だということではない。主イエスご自身がよく一人で祈られたし、マタイ6:6では「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」とも教えられた。しかし、一人でしか祈れないなら他の人を信用しないことになる。個人の祈りだけに止まらず、他の人と共に祈るところにまで進みたい。

3.主イエスがともにいてくださる

  • 天は神の領域であり、天国での交わりにはいつも神が共におられる。それを地上において体現するのが、祈りの交わり。心を一つにして主イエスの名によって祈る場には、イエス様がともにいてくださると約束してくださった。
  • 私たちの祈りは、まだ不十分。真に心を一つにした祈りだと胸は張れない。率直に反省し、祈りにおいて成長することを主に求めたい。
  • あわれみ深い神は、みことばに従いたいと願う者を省みてくださるだろう。
  • 神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。(ヨナ3:10)
  • だからこそ、主イエスを信じよう。互いを受け入れ、共に祈り合おう。足りないところは反省し、主の赦しを求めよう。