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2020年3月8日 主日礼拝
1.これらの出来事とは
- まず主の約束を信じて、故郷を離れてカナンに行くという決断をした。
- しかしカナンでの飢饉におびえ、主が示していないエジプトに逃げ、妻を妹と偽り、ファラオに追われてカナンに戻された。
- おいのロトとの別離後に、子が与えられると明確なことばをいただき、信じ、その信仰が「義と認められる」が、結局そばめによってイシュマエルを産む。
- ところがイシュマエルが13歳になり自身は99歳になってから、そばめではなく妻サラから子が生まれると再度のみ告げを受け、笑う。
- さらに主はロトの住むソドムの滅びを予告し、アブラハムはとりなしをする。彼のとりなしのことばは受け入れられるが、10人の正しい者がいなかったため、ソドムは滅び、ロトの一家だけが助けられる。
- その後でまた妻を妹と偽ってしまう。
- ようやく約束の子イサクが生まれるが、イシュマエルは追放される。
2.こうした出来事の後で、試練に。なぜこの時?
- 「もう苦労したくない。試練などたくさん」と思っているなら「耐えられない試練」になってしまう。(コリント第一10:13)
- しかし、アブラハムは「はい、ここにおります」と、素直に返事をした。何気ないが、神に対していつでも何でも喜んで従う姿勢を感じる。最初からそうだったわけではない。様々な経験を通して主を恐れる謙虚な信仰者に成長した後で、最も大きな試練が与えられたのは偶然ではない。
- 自分はまだそこまでの試練が与えられるほど成長していないと実感する。
3.アブラハムは従った
- アブラハムは時を送らせず、翌朝早く旅立った。イサクに「いけにえの羊は?」と尋ねられた時にはつらかっただろうが、知恵が与えられ「神ご自身が備えてくださる」と答えた。この言葉は二重に実現する。実際に羊がいたことと、主イエス・キリストという「神の子羊」が与えられることによって。
4.イサクも従った
- イサクはいけにえを燃やす大量の薪を背負って従った。重労働ができたのはたくましい若者になっていたからだろう。若者に抵抗されれば縛れるはずがない。父が彼を縛ろうとしたとき、イサクは従ったのだ。祭壇の上にも自分で登ったのだろう。その従順は主イエスの受難の姿を思い起こさせる。
5.主の時に、羊を発見
- イサクをほふろうと刃物を抜いたとき、「主を恐れていることがよくわかった」と制止された。「それ早く言ってよ」と思うが、このタイミングが主の時だった。主の時を待とう。
- その時になって羊に気づき、イサクの代わりにささげた。羊はアブラハムたちがそこに来る前からそこにいて、時を待っていたのだ。
- 確かに主の山には備えがあった。しかしその備えは主の山に行かなければ、見出せない。主のみこころに従おうとしなければ、見出せない。主の備えを信じ、備えを発見できるように、御心の地に行こう。みこころに従おう。
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