2020年3月1日 主日礼拝

創世記 19章12節~29節
國分広士牧師

1.神の裁きとしての滅び

  • 「彼らの叫びが主の前に大きい」→この「叫び」は祈りではない。
    罪深い生き方を責める声、苦しむ者のうめき、憎しみのろう声など
    主に祈るつもりでなくても、主は敏感な心で聞かれている。
  • ロトはソドムの人々を「兄弟たち」と親しく呼びかけたが「引っ込んでいろ」と拒絶された(9)。娘たちを妻にしていた婿たちに警告しても冗談としか思われなかった(14)。悔い改めを拒む者は、自らを滅びに向かわせる。

2.主のあわれみによる救い

  • 夜明け近くまでためらうロトを、御使いはせき立てた(15)。
    救いの道へと進むには決断が必要。どう決断するかでその後は大きく変わる。
  • どうしても決断できなかったロトたち家族の手をつかみ、町の外に連れ出した(16)。「主のあわれみによる」、強制的な救出。
  • 強制的な救出は、神のあわれみ深さを教えているのであり、自分の意志で決断しなくても良いと教えているわけではない。
  • 町の外に出ただけでは不十分。御使いは「いのちがけで逃げなさい。振り返ってはいけない。この低地のどこにも立ち止まってはいけない。」(17)と命じる。私たちの救いも、主イエスを信じる決断をするだけでは終わらない。その後も主に従い続けることで、本気で信じていることを証しすることが命じられている。
  • ソドムは罪深さ故に滅ぼされる。そこから逃げるとは、罪深い生き方から離れるとうこと。ソドムではないけれど、低地のどこかに止まるなら、最悪ではない程度の罪深さに止まること。
  • ロトは山までは無理と懇願し、中腹の町までと妥協を願う。御使いはそれをもゆるす。妥協は望ましくない。徹底しないロトの生き方はその後にも災いの原因となった(30-38)ことも留意しよう。だが、少なくとも、正直に願い、許可されたことは大切な教訓。正直に願おう。 

3.神はアブラハムを覚えておられた

  • ロトに神のあわれみが与えられ、救出された背景に、アブラハムのとりなしがあった。(18:23-32)
  • 「神はアブラハムを覚えておられた。」(29) 神はみこころを行うときに、「さばき」だけを行うのでなく、同時に「救い」も行われる。私たちはアブラハムのように救いを求めて祈ろう。