2019年12月15日 主日礼拝
1 .名はヨハネ(57-66)
- 天使によって告げられた(13)通り、ザカリヤの妻エリサベツは男の子を産んだ。子のなかった高齢の夫妻に与えられた祝福を、人々は喜んだ。
- 名付けは父の特権だが、この時までザカリヤは口がきけなかったので、親族が父親の名を継がせようとした。しかしエリサベツは「ヨハネ」だと言う。おそらく筆談でザカリヤから聞いていたのだろう。人々は身振りで父に尋ねる。耳も聞こえなくなっていたようだ。
- ザカリヤが「その子の名はヨハネ」と書いた時、口が開かれた。彼が神に従って、天使に告げられた名前をつけたからだろう。主のみこころに従う者は幸いである。
2 .敵の手からの救い(67-75)
- ザカリヤも聖霊に満たされて預言する。それまで物が言えなかった期間はなんだったのだろうと思うほど豊かに語る。
- ザカリヤが神をたたえる内容は「救い」。71、74節でくりかえし、「敵の手からの救い」と語る。
- 讃美歌「もろびとこぞりて」の2節に「悪魔の人屋を打ち砕きて」という歌詞があるが、人屋とは牢獄。悪魔の牢獄を砕いて、虜を解放する方こそキリスト。ザカリヤはその方を「救いの角」と呼ぶ。角は王を表す比喩。やがてイエス様の十字架には「ユダヤ人の王」と記された。
3 .罪の赦しによる救い(76-77)
- 悪魔との戦いは、罪との戦い。決して暴力的な手段では勝てない。
- ザカリヤは「罪の赦しによる救い」と語った。自らの罪によって悪魔に囚われた者には、罪の赦しが救いとなる。罪が赦されるからこそ、「恐れなく主に使える(74)」ことができるようになる。
4 .平和の道に導く(78-80)
- 自身があわれみを受けた者として、ザカリヤは神の救いは深いあわれみによることを心底認める。自分は「暗闇と死の陰に住んでいた」のだが、神は見捨てないであわれんでくださったと。
- 誰との「平和」なのか。第一に神との平和である。そして神との平和を持つ者は、人とも和解する。その逆ではない。人との平和を第一に求めるなら、人は神に背くから、神との平和は困難になる。
- ザカリヤが神のみこころに従ったときに、口がきけるようになったことを心に刻み、第一に神の国とその義を求めよう。
まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、
それに加えて与えられます。(マタイ6:33)
本日の宣教要旨はございません。