2019年5月5日 主日礼拝

ピリピ人への手紙 2章1~8節
國分広士牧師

1.キリストにあって

  • 「利己的にならず他の人を顧みる」ことが大切なのは、キリスト教でなくても同じように思う。しかし、なぜ他の人を顧みるのが大切なのかという理由は、考え方が異なる。聖書はどう教えているのか?
  • 聖書が隣人愛の根拠とするのは神の愛。神は全ての人を愛しておられる。キリストを信じる者は自分も神に愛されていると励まされている。
  • またキリストはご自分の弟子たちに御霊を与え、神の愛が私たちの内でも表されるように導かれる。キリストを信じ従うから、キリストのように他の人を顧みる者になりたいと私たちも願うのだ。

2.ご自分のあり方を捨てたキリスト・イエス

  • ではキリストは、どのように他に人を顧みられたのか?第一にキリストは、人間となるために神のあり方を捨てた。自分のあり方を捨てるのは誰にとっても非常につらい。しかしそうしないと、立場の異なる人とは交われない。同じ人間になってくださったので、信頼できるのだ。
  • 第二に、キリストは私たちの罪の身代わりになって死んでくださった。他の人の犠牲になることは大変だが尊い。主イエスご自身が「人がその友のために命を捨てること以上の愛はない」と言われていた。
  • もしイエス様が「自分のあり方は捨てられない」とか「死ぬのは嫌だ」と言ったとしても私たちは文句は言えない。しかし、それでは私たちに救いはない。主イエスは真に他の人を顧みて、ご自分を捨てたのだ。

3.キリストのように、他の人を顧みたい

  • キリスト以外に目を向けるなら、他の人を顧みる動機は生まれないかもしれない。現代思想の主流である功利主義に立っても、「お互いの存在が有益だから」と考えることはできるが、功利主義は都合が悪くなれば、「相手の存在は自分に不利益だ」と感じて、相手を排除する。不都合な相手をも受け入れ愛する神の愛のような発想は出てこない。
  • キリストを信じ、キリストに従いたいという願いをいだこう。そうすれば、自分だけでなく他の人を顧みる思いが与えられる。