2019年4月28日 主日礼拝

ヨハネの福音書 21章1~22節
國分広士牧師

1.イエス様の呼びかけ

  • イエス様は復活後にガリラヤで再会すると弟子たちに告げていた。それで弟子たちはガリラヤに戻った。元々漁師であったペテロは、待機期間の経済的必要もあったのか、漁に出ることにし、他の弟子たちも同行した。
  • ところがその晩は何も取れなかった。すると明け方に岸から呼びかける人がいた。まだ薄暗くて顔は確認できなかった。その人は「舟の右側に網を打てば捕れる」と言う。本当か?
  • 断ったり無視したりする理由はあった。岸に立つあんたが、なんで捕れるとわかるのか?一晩やって駄目だったのだ。どうせ無駄にきまっている。これ以上労力を損するのも辛い。よけいな期待をさせて失望させるな…。
  • イエス様は私たちにも「わたしに従いなさい」と呼びかけている。その呼びかけを信じないで無視するのか、信じて従うかで、事は大きく変わる。

2.従ったペテロは再び大漁を経験した

  • ペテロが心をどう整理したのかは記されていない。この後の経験こそ心を整理させるので、よくわからないけど従ってみたということだろう。
  • 主は従った経験を用い、たくさんの魚を捕らせた。弟子になった時の大漁と同じ経験だったので、ヨハネは語りかけたのが主イエスだと気づいた。
  • ペテロは主の前に裸では失礼と思って服を着、急いで会うために泳ぐ。ちぐはぐな行動だが、イエス様を愛する思いは伝わる。
  • イエス様はすでに食事の用意をされていた。弟子たちが魚を獲れなくても食事はできた。私たちが何事かをするかしないかは、神のみわざが成るな成らないかを左右させるほどのことではないのだ。
  • しかしイエス様は「君たちの魚は必要ない」とは言わず、「何匹か持ってきなさい」と命じた。弟子たちの行いの成果は食卓をより豊かにしたのだ。主は私たちの歩みを意味あるものとして用いてくださる。

3.あなたは、私に従いなさい

  • 親しい食事の交わりの後で主はペテロの心を探るような質問をする。「わたしを愛していますか?」と。三度も問われたのは、ペテロが三度主を知らないと言ったことを思い起こさせた。
  • 尋ねるタイミングも重要。これが食前だったら食欲がなくなってしまう。魚が捕れる前だったら落ち込んでしまう。大漁で活気付き、食事で体も心にも余裕ができてから尋ねた。主は良い応答を望んでおられるのだ。
  • ペテロは謙虚に答えることができた。愛することを主ご自身がご存知だと。見栄を張ることも卑屈になりすぎることもなかった。
  • しかしもう一つ整えられるべきことがあった。自分は主に従うとして、他の弟子はどうなのかと、人を気にしたのだ。主は「他の人がどうするかで決めるのではなく、あなた自身の決断として私に従いなさい」と教えた。自分が左右できない事は主に委ねて、自分自身の決断をしよう。