2019年3月10日 主日礼拝

ローマ人への手紙 3章23~24節
國分広士牧師

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、

  • 神は私たち人間を特別な被造物としてお造りになった。   神に似る者(創世記1:26)。ということは神の期待を受けている。   神は、私たちに栄光を受けさせたいと思われている。
  • ところが、人間は神の期待に背き、罪を犯したため、栄光に達しない。
  • これは、単に私たちが栄光を受けられないというだけの問題ではなく、   私たちを愛している神のお心を傷つける大問題である。

神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、

  • 神は必ず罪を精算する。   本来は罪を犯した人自身が正当な裁きを受けることで精算される。   罪の報酬は死(ローマ6:23)。罪の精算は死刑。
  • しかし神は私たちを愛するあまり、その刑罰を贖う。   キリストが私たちの代わりに死んでくださった。
  • これも神の痛み。私たちは罪を犯して神を傷つけ、贖いをさせることでさらに傷を負わせた。傷つくことをあえてしてくださるのが、神の恵み。   神の力は弱さのうちに現れる。(第二コリント12:9 )

価なしに義と認められるからです。

  • 贖いは私たちの功績によるものではない。もしも功績を求められたなら、私たちに何ができるのか?「義人はいない」(ローマ3:10)のだ。
  • 特に罪の問題は、功績ではなく罰則が必要であることを忘れてはならない。功績で贖罪しようとするのは、金で問題を解決しようとするあさましい考え。
  • 罪はまず悔い改めるべき。神は罪を贖われたので、悔い改める者は価なしに義と認められる。