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2019年2月17日 主日礼拝
弟子たちはイエスを礼拝した
- 今日の聖書箇所は、「主の大宣教命令」と呼ばれる箇所。
- 弟子たちはイエスを礼拝した。きちんとした信仰のあるユダヤ人は、創造主以外は礼拝しない。弟子たちはイエスを世界の造り主だと信じたのだ。主ご自身も、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」と語って、ご自身の神性を明言された。
- 山に登り神と出会い礼拝する光景は、モーセがシナイ山に登り十戒をいただいた光景を思い起こさせる。十戒を与えたお方が、弟子たちに世界宣教を命じられたのである。
イエスは「父、子、聖霊」を一つの存在として語った
- 主イエスは弟子たちが世界に出て行き、あらゆる国の人々を主の弟子とするように命じた。
- 弟子となる者には2つのことが命じられる。第一は父、子、聖霊の御名によってバプテスマを受けること。
- 「父、子、聖霊の御名」という言い方で、三つのお方が別々ではなく一つのお方であることがわかる。
- このことは神学用語で「三位一体」と呼ばれる。それぞれ別の人格を持つ三つのお方が一つだということ。これは人間の理性では矛盾に思え、理解しきれない。神は人の理解を超えたお方なのである。
- 人間の理性で理解しやすいように教えの内容を変えてしまうなら異端になる。ものみの塔はイエスを父の被造物と考え、三位一体を否定する。彼らはイエスには全面的には頼れない。
イエスはいつもともにいてくださる
- 主は弟子たちに、命令と主に約束を与えてくださった。世の終わりまで弟子たちと共にいてくださるというのだ。
- 弟子たちにとって、この約束は何にも変えがたい価値がある。どんなに高価でも物なら失われる。しかしたとえ全てが取り去られたとしても、神が自分を愛してくださることだけは変わることがない。困難の多い宣教の道を歩む者には、かけがえのない約束。
- 主イエスはこのあと昇天され、姿が見えなくなるが、そのあとで弟子たちに聖霊が与えられ、弟子たちとともにいてくださるようになる。 コリント第一6:19には「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり」と記されている。
- 主は三位一体の方なので、聖霊がともにいてくださるということは、主イエスが共にいてくださることと同じなのだ。
- ともにいてくださる約束を受けるため、主を信じ、バプテスマを受けて、主の弟子として歩もう。
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