2019年1月20日 主日礼拝

ヘブル人への手紙 4章12~13節
國分広士牧師

神のことばは生きて、力がある

  • かろうじて生きているのではない。人を動かす力がある。
    聖書によって人生が変わった人がどれほど多いことか。
    時代が変わっても、聖書の影響力はまったく衰えていない。
  • 聖書は、心の思いを見分ける。
    私たちの心は複雑で、自分で自分の考えもよくわからない。
    なぜ私はこう思うのか?なぜこう感じるのか?
    なぜ人に語る建前と、本音で思うことは異なるのか?
    精神病理学は、心のメカニズムを解き明かそうとする。そうした学問が発達する前から、聖書は人間の心の思いを明らかにしてきた。
  • 「たましい」と「霊」を分けるまで
    心には「脳の働き」と「脳が死んでも残る霊魂」があることはわかる。その意味で言っているのか、霊魂をさらに「たましい」と「霊」に見分けるという意味なのか。神は微妙な違いも見分けるということ。
  • 「心の思い」と「はかりごと」も、神は見分ける。なぜそう思い、そう計画するのか、聖書を学ぶと神は全て知っておられることに気づく。

この神に私たちは申し開きをする

  • 神の目にはすべてが裸。さらけ出されている
    人は罪を犯したときに、裸でいることが恥ずかしくなった。(創3章)
    そこでいちじくの葉で腰をおおったが、まだ恥ずかしかった。
    神の顔を避けて茂みに隠れるほど、恥ずかしかった。
    彼らは、罪を隠そうとした。悔い改めない態度が隠し隠れること。
    素直に謝り、真実を認める人は、こそこそしない。
    人に対しては上手に隠し通すことはできるかもしれないが、
    隠すほど、心は複雑になり、ついに病んでしまう。
  • しかし神は人がどこにいて、どうして隠れたのかご存知。
    この神に申し開きをしなければならない。
  • 黙示録20:12[また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。]
  • 隠し通せると思う人は悔い改めない。
    人はごまかせても神はごまかせない。聖書は神が全てを知っておられ、正しく裁くことを明らかにしている。
  • 神に正直に心を向け、悔い改めよう。