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2018年10月28日 主日礼拝
「求めなさい」
- 誰に求めるのか?「与えられる」という結果を期待するなら、与えようと思えば与えられる相手に求めなくてはいけない。
- 求める相手を誤っている求めを聞くこともある。求める相手を間違えてはいけない。失望どころか利用されるかもしれない。
- 間違いがないお方は、全能の神。愛の神。
- 「主イエスの名」で父に求めるなら与えられると主イエスは教えた。
※ これが祈りの最後に「イエス様の名前によって」と言う根拠。
(参照)ヨハネ16:23-24「わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。」
「探しなさい」
- どこを探すのか?どこにあるかを知っているなら、そもそも探さない。しかし、見当違いのところを探しても見つからない。
- 道案内のようにアドバイスしてくれる人がいると助かる。しかし、そのアドバイスが誤っているとよけいに混乱する。誰のアドバイスを聞けばいいのか?
- 間違いがないお方は、全知の神。愛の神。
(参照)イザヤ30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。
「たたきなさい」
- 「たたく」という行為は、自分の願いを相手に表明する姿勢。
- たたいていると周囲の人も気づくかもしれない。恥ずかしいのでやめるのか、叩き続けるのか。続ければ、いっしょに叩いてくれる人もいるかもしれない。反対に「やめろ」「うるさい」と言われるかもしれない。
→ルカ11:5-10を参照
続けなさい
- 欄外注に「続ける」とある。ギリシャ語では現在形と現在進行形の区別がない。そのニュアンスは文脈から読み取る。この箇所の場合は、進行形とも言える。
- 「続ける」とはあきらめない姿勢。信じ、期待する姿勢。
- 神に求め、神のアドバイスに励まされ、願いを表明するなら、続けてこそ、信仰を表すことになる。
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