2018年10月28日 主日礼拝

マタイの福音書 7章7~8節
國分広士牧師

「求めなさい」

  • 誰に求めるのか?「与えられる」という結果を期待するなら、与えようと思えば与えられる相手に求めなくてはいけない。
  • 求める相手を誤っている求めを聞くこともある。求める相手を間違えてはいけない。失望どころか利用されるかもしれない。
  • 間違いがないお方は、全能の神。愛の神。
  • 「主イエスの名」で父に求めるなら与えられると主イエスは教えた。
    ※ これが祈りの最後に「イエス様の名前によって」と言う根拠。
    (参照)ヨハネ16:23-24「わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。」

「探しなさい」

  • どこを探すのか?どこにあるかを知っているなら、そもそも探さない。しかし、見当違いのところを探しても見つからない。
  • 道案内のようにアドバイスしてくれる人がいると助かる。しかし、そのアドバイスが誤っているとよけいに混乱する。誰のアドバイスを聞けばいいのか?
  • 間違いがないお方は、全知の神。愛の神。
    (参照)イザヤ30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。

「たたきなさい」

  • 「たたく」という行為は、自分の願いを相手に表明する姿勢。
  • たたいていると周囲の人も気づくかもしれない。恥ずかしいのでやめるのか、叩き続けるのか。続ければ、いっしょに叩いてくれる人もいるかもしれない。反対に「やめろ」「うるさい」と言われるかもしれない。
    →ルカ11:5-10を参照

続けなさい

  • 欄外注に「続ける」とある。ギリシャ語では現在形と現在進行形の区別がない。そのニュアンスは文脈から読み取る。この箇所の場合は、進行形とも言える。
  • 「続ける」とはあきらめない姿勢。信じ、期待する姿勢。
  • 神に求め、神のアドバイスに励まされ、願いを表明するなら、続けてこそ、信仰を表すことになる。