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2018年7月29日 主日礼拝
主のさばきは、人をきよめて純粋にする(1-4)
- 1節「わたしの使い」「主が突然神殿に来る」「契約の使者が来る」→ これらはメシア(キリスト)に関する預言。キリストの来臨の前に道を備える使いが来るのはバプテスマのヨハネ。突然来られる主がイエス様。ただし、旧約預言は初臨と再臨の主が区別なく記される。
- 2-3節 「精錬」「布をさらす」→メシアのなさることはきよめ。 金属の純度を高めるには高熱で溶かして不純物を取り除かなくてはならない。布を漂白するには灰汁でさらさなくてはならない。そのように、きよめるためには、罪が取り除かれる必要があり、きよめは必ずさばきと結びついている。
- 3-4節 きよめの結果、主へのささげものが、昔のように主を喜ばせることになる。
きよめが必要なのは、盗んでいるから(5-9)
- 5節 さばきの対象は、罪人。「呪術者」「姦淫」「偽って誓う」「不正な賃金」「寄留者を押しのけ」そのような人々は、「わたし(主)を恐れない者」と言われる。
- 6-7節 「ヤコブの子ら」は「わたしの掟を離れ、それを守らなかった」と、主は責めるが、見捨てるのではなく「わたしに帰れ」と言われる。
- 罪の自覚のない者は『どのようにして、私たちは帰ろうか』とつぶやく。
- 8節 罪の指摘として、主は「あなたがたはわたしのものを盗んでいる」と責める。
- 「十分の一と奉納物」とは、主へのささげもの。ささげるべきものを、捧げていないということ。人に対する犯罪ではなく、神に対する不誠実が責められている。
- 9節 「この民のすべてが盗んでいる」→主に不誠実なのは全ての人だと主は責める。他の人もしているという言い訳は、人には言えても、主に対しては通用しない。 ノアの洪水を忘れてはいけない。皆が悔い改めないなら、皆、滅ぼされる。
ささげることで、主の祝福がわかる(10-16)
- 10節 神はささげた者を祝福してくださる。祝福をいただけるかどうか試しなさいと、主は私たちにチャレンジを与えておられる。
- 11-12節 どのような祝福か。「大地の実りを滅ぼさないようにし」「不作とならないように」「すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言う」→努力が報われるということ。
- 13節 「わたしに対して度を越している」→創造主に対して、被造物にすぎない者が対等であるかの態度をとるのは高慢。これがヒューマニズムの問題。しかし高慢な者は自分が生意気であると思わず、『私たちが何と言ったというのですか』と口答えする。
- 14-15節 『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる』→これがヒューマニズムの問題。
- 16節 主はそのすべてを記録され、やがてその記録で裁かれる。
主にささげる者を、主は宝とする(17-18)
- 17節 「わたしが事を行う日に、わたしの宝となる」→さばきによって、私たちは神のものとなり、しかも大切な宝とされる。
- 18節 「神に仕える者と仕えない者の違い」→正しいささげものをするかどうかの違い。正しくささげなくても同じだと思うのはカインの罪。
- 17節 「人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」
- 主にささげ、のあわれみを受ける者となろう。
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