2015年12月27日 主日礼拝

ヨハネの福音書 5章1~9a節
國分広士牧師

1.38年病気の人

ベテスダ池には伝説があった。時々天使が来て水をかき回す時に、最初に池に入った人の病が治るという伝説。実際に多くの病人が集まっているので、間欠泉のような現象が起きていたのかもしれない。その中に38年と特に長患いの人がいた。人生の大半を病気で過ごしたということ。

2.私たちはこの方の栄光を見た「よくなりたいか」と問う主イエス

この場面にそぐわないと感じる質問を主イエスはされた。病人はよくなりたいに決まっているし、だからこそこの池にいるのだ。いたわりのことばをかけるのが当然なのに、何を言い出すのだろうか。しかし主イエスはわざと意外な発言をすることがあった。この発言は、病人にどんな影響を与えただろうか。そこに主イエスの意図が見えるはず。

3.「主よ。」と答えた男

男はすなおに「よくなりたい」とは言わずに、誰も自分を助けてくれないと言い訳をしだした。ここに彼の心の問題がえぐり出されている。自分は精一杯やっている、周囲が変わらない限り望みはないと、あきらめている。そうやって「よくなりたい」と思わないようにしてきたのだ。しかし、それでも彼はイエスを「主よ」と呼んだので、イエスのことばに従う可能性も見える。あきらめから希望へ向かわせようとするのが主の意図だった。
4 「起きなさい」という命令に従い、いやされた イエスに命じられても、「起きれません」「起きても疲れるだけ」と思い、従わない可能性もある。主のことばに従うかどうかで、主を信じたかどうかが分かれる。彼は信じて従った。その時にいやされた。私たちも主イエスを信じよう。