2015年9月13日 主日礼拝

イザヤ 46章3~4節
國分広士牧師

1.「わたしに聞け」と言う方

私たちは人生の悩みを負っている。思い通りにいかず、苦難を味わい、道に迷い、まじめな人ほど悩む。どうしたらいいのか教えて欲しいと願う者に、主は「わたしに聞け」と言ってくださる。

2.生まれる前から運ばれていた私たち

私たちは自分の意志で生きていると感じている。しかし、実は生かされている。自分の心臓を自分の意志でコントロールしている人など誰もいない。自分の意志と関係なく動く体の器官によって私たちは生かされている。しかも空気も水も、自分で造ったものではない。自分の意志でコントロールしているのは、人生の中のほんの一部分にしかすぎない。私たちは生まれる前から、神に運ばれていたのだ。

3.しらがになっても救い出してくださる

人間は若さに魅力を感じ、老いは否定的に見やすい。しかし、聖書は老いているからこそ与えられる恵みについて教えている。それは主が運んでくださるという恵み。生まれ出る前、私たちの命は神によって造られ、運ばれていた。幼いうちは親の愛によって運ばれているので、幼子はすなおに神を信じることができる。しかし、成長すると自分が運ばれていたことを忘れて傲慢になり、神などいらないと思いやすい。それが老いてまた運ばれるようになると、再び謙虚になって、運んでくださる方を思う気持ちがよみがえる。神は若いか年寄りかということよりも、神を信じ従う思いがあるかどうかを見られる。