2015年7月5日 主日礼拝

創世記 25章1~26節
國分広士牧師

1.アブラハムの死

ついにアブラハムの生涯が閉じた。175歳。100歳で生まれたイサクも75歳になり、孫たちも15歳。追い出されたイシュマエルも埋葬に加わったことは慰めを感じる。一方、最晩年にも妻をめとり、6人も子を産んでいたが、彼らには手切れ金を渡して去らせている。この行動は褒められない。権威を持った人が歳をとるとわがままが出やすいということだろうか。しかし去らされた子のひとりミデヤンは一民族となり、後にモーセのしゅうとイテロが登場するなど、悲劇では終わらない。罪人の本質と、その罪人への主のあわれみを忘れないために、心に留めておこう。

2.主はイサクの祈りに答えられた

アブラハムに与えられた神の祝福はイサクに受け継がれた。財産の相続だけでなく、アブラハムの信仰が受け継がれたのだ。イサクは子がなかなか与えられないことで主に祈願し、結婚後20年でようやく子が与えられた。イサクは父から、求め続ける信仰を受け継いでいたのだ。

3.主はリベカにも答えられた

イサクの妻リベカも主に祈る人であった。彼女がみこころを求めに行った場所は不明。メルキゼデクのところだろうか?場所はどこでも主は祈りに答えてくださる。大切なのはみこころを求めた彼女に主のみことばが与えられ、そのことばの通りになったということ。主はご自分に祈り求める民をお造りになっているのだ。私たちも祈り求める者になろう。