2013年6月16日 主日礼拝

ルカの福音書 9章23~25節
國分広士牧師

1.主イエスについて行きたいという願い

主の弟子とは、主イエスについて行きたいと願う者。義務感や計算で従うのではなく、従いたいからそうする。なぜか?それは主イエスを愛するから。主の近くにいたいし、願わくは主の役に立ちたいから。主は人の心を見て、純粋な願いがある者を喜ばれる。

2.主のように自分を捨てる

主について行く者に主が求めるのは、自分を捨てること。自己主張より主のことばを優先し、主の嫌う罪深いものを捨て、人々の必要のために自分を犠牲にすること。それが主に自分をささげるということであり、主ご自身が父なる神に従うために示された生き方。主が歩まれたように歩むのが自分を捨てると言うことなのだ。

3.主のように日々自分の十字架を負う

主はご自分の使命として、自分を犠牲にする十字架の道を歩まれた。十字架は犠牲的に神に従うことの象徴。自己犠牲の必要は日々ある。自分が犠牲になることで人々が受ける恵みがある。それでも主が望まれるから犠牲を払おうとするなら、主が喜ばれる。どんな苦労をしても「主が喜ばれた」と思うだけで十分報われたと感じる者になりたい。地上での祝福よりも、天での祝福のほうが大切だと思う価値観を身に着けたい。