2025年8月17日 主日礼拝

1.三つ目と四つ目の「ですから」
①v1 神に赦されているの「ですから」
②v7 神の怒りは不従順の子らに下るの「ですから」
③v15 主に喜ばれる生き方をしようとしているの「ですから」
④v17 知恵ある者として機会を活かすの「ですから」
2.「ですから」の次は?
- ③v15 主に喜ばれる生き方をしようとしているの「ですから」
- →自分がどう歩んでいるかに、細かく注意を払いなさい。
- 悪い時代なので、容易に主のみこころから離れやすい。
- v3-5に記されていることが蔓延しているので、慣れて罪と思わなくなる。
- 「淫らな行い」「汚れ」「貪り」「わいせつなこと」
- 「愚かなおしゃべり」「下品な冗談」
- だまされてはいけない。人は「この程度なら」と罪に慣れるが、神は罪を怒る。
- 何が主に喜ばれるのかを吟味。「吟味」は「細かく注意を」と重なる表現。良い行いに見えて、「計算」や「虚栄心」が潜んでいるかもしれない。
- ④v17 知恵ある者として機会を活かすの「ですから」
- →主のみこころが何であるかを悟りなさい。
- 愚かになると、みこころがわからなくなる。罪深いこの世は人を愚かにする。
- たとえば、「拉致問題の解決」を祈ることはみこころにかなうのか?
- 「他にも大切な課題はたくさんある」と言い訳をして、実現が難しい課題は、
- 祈らなくなる傾向はないだろうか?
- 難しいかどうかではなく、主のみこころが何であるかが大切。
- 主のみこころに従うことを教えると、行き着くのは v21「互いに従い合う」
- 信仰の歩みは個人的に神に従うことでは終わらない。必ず他の人を愛することが求められる。神が人を愛したのだから、人も互いを愛するのがみこころ。
- →この発想が前提となって、夫婦が互いに従う結婚の教えが21節以降に続き、
- 6章には子が親に従うこと、奴隷が主人に従うことが教えられる。
- いずれも自分の感情より「主のみこころ」を優先させることが大切。
- ※ 夫婦・家族のような身近な課題は、神が自分に取り組ませようとしている課題。
- 横田姉が教会員なのだから、私たちにとっては拉致問題も身近な課題。
- しかし自分と縁遠い課題も身近にされることがある。新たな課題を与えてくださるかもしれないと、いつも心を開いていることも大切。
3.「歩み」
- v15「自分がどのように歩んでいるか、注意を払いなさい」という命令は、
- v2「愛のうちに歩みなさい」
- v8「光の子どもとして歩みなさい」から続いている。
- この「歩み」は、「生き方」を示している。
- 主のみこころにかなう生き方をしようとする歩みならば、
- A 愛のうちに歩んでいるか?冷たく人を裁いてはいないか反省しよう。
- B 光の子どもとして歩んでいるか?聖く、人の模範となる生き方をしているかを反省しよう。