2023年12月3日 主日礼拝

イザヤ書31章6節
國分広士牧師

1.「帰れ」と呼びかけてくださる主

 ・人間は自分の得た知識や体験から物事を判断する。良い知識や豊かな体験を持っていることは、良い判断につながる。「帰れ」と呼びかけてくださっている神の言葉を知らないと、神が受け入れてくださるとは思えない。
 ・「帰れ」ということは、元々は神と一緒にいたということ。人は神によって神のかたちに造られた。エデンの園では一緒に暮らしていた。罪を犯し追放されたが、人が帰るべき場所は造り主の御許であることは、今も変わらない。

2.受け入れようとする主への反抗

 ・神は罪を犯して神の御許から追放した人間を、御許に帰らせたいと思っている。神の気が変わったのか?いや、追放は人間の反省を願ってのことだったのだ。
 ・ところが人はなかなか帰ろうとしない。神にではなく、他のものに頼る。
 ・イスラエルはアッシリアが迫って来た時、エジプトに頼った。しかしエジプト人は人間であって神ではない。真に頼りにならないものに頼れば、悲惨な結果が待っている。
 ・自分が反抗した相手に頼るのは、反抗を悔い改め、相手にへりくだることが必要。自分が悪かったと思えないと謝れない。帰ることもできない。神を信頼しないこと自体が罪であり、ますます神との距離を生む。
 ・神は反抗をやめ、帰ってくるように呼びかけて下さる。

3.イスラエルの子

 ・放蕩息子の記事を思い起こす。(ルカ15:11−24)
 ・父が待っていたのは出て行った子。子が帰ろうと思えたのは、相手が父だから。私たちにとって造り主は父。
 ・イスラエルは神が子とした民。主イエスを信じる者は信仰によるイスラエル。私たちも「帰れ」という呼びかけられている。放蕩息子のように父の家に帰ろうと決断しよう。