2021年6月13日 主日礼拝

出エジプト 17章8~13節
國分広士牧師

1.神の杖

  • 神の杖とは何か 4:2で最初に出てきたのは単なる杖。羊飼いの必需品の道具。この杖を蛇にする奇跡をモーセに体験させ、「あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」4:17 と主はモーセに命じられた。それで4:20では「神の杖」と記されていいる。
  • エジプトにおける数々の奇跡の際にも、神の杖がしばしば登場する。ナイル川の水を血に変える際には杖で水を打った(7:20)。ナイルから蛙を這い上がらせるときには、アロンが川辺に杖を向けた(8:5)。別の杖ではなく、同じ杖をアロンに持たせたということだろう。モーセが持とうとアロンが持とうと、真に大切なのは命じておられる神の意志。「神の杖」は神の意志を表すために用いられた。

2.アマレクとの戦い

  • アマレク人は砂漠地帯での暮らしに慣れており、好戦的。彼らから見れば、エジプトからやってきたイスラエル人は、その地に不慣れであり、戦いにも不慣れなので、カモとみなされ、略奪のために襲撃してきたのだろう。イスラエル側が応戦したため、本格的な戦闘になったようだ。
  • 本格的な戦いは、まず陣を構え、作戦を決めて戦う。モーセはヨシュアを指揮官にし、「男たちを選び」すなわち応急の軍隊を編成させた。決戦は明日と定め、モーセは神の杖を持って、戦場の様子が見える丘の上から見守ることにした。神の意志を示す杖を持つことで、神のみこころで戦うことを示したのだろう。
  • 戦いの最中、モーセは手を挙げた。おそらくそれは祈りを表している。皆の前で祈る時には、遠くから見る人々にも、主に祈っているとわかるように、手を挙げたのではないか。
  • 手をおろしたのは疲れたからであり、祈る気持ちまでなくなったということではないはず。しかし、不思議と、手をあげると優勢になり、手を下ろすと劣勢になった。状況を見ている人には、主に祈る時と、祈りをやめた時の違いに見えただろう。

3.祈りの手を支えた人々

  • このままではいけないと思った「彼ら」は、モーセを腰掛けさせ、両脇から手をアロンとフルが支えて、モーセの手が日没まで挙げ続けられるようにした。イスラエルの優勢が続き、ついに戦いに勝利を得た。非常に特殊な事例であり、そのまま真似ることではない。しかし、意味的には私たちも学ぶべきことがある。
  • 戦いの当事者はヨシュアたちだった。しかし背後でモーセが手を挙げなくては勝てなかった。モーセもアロンとフルが支えてくれなくては手を挙げ続けられなかった。実際に戦いに行かなかった老人たちが大切な役割を果たしていた。だからといって、戦いに行く若者たちがいなくてはお話にならない。
  • 真に大切なのは、その一人一人を用いられた主であることを知ろう。主が、祈り支え合う交わりを祝福してくださったことを心に刻もう。