2026年2月15日 主日礼拝

ローマ2:17-29

國分 広士 牧師

  • ローマ人への手紙は、救いの信仰を教える大切な書である。マルチン・ルターもローマ書の研究で信仰の確信を得た。パウロは筆を急がずに大切な内容は詳しく書いている。
  • 3章半ばまでは罪の自覚についてであり、その解決にまで筆が進んでいないので、今日学ぶ箇所だけでは、心が落ち着かないかもしれない。だが、正しい問題提起こそが正しい解決に至る。問題提起が甘ければ、解決したのかも不明確になってしまう。だからしっかり学ぼう。

1.ユダヤ人・律法

  • ユダヤ人は律法の民。律法に従う印として、男子は割礼を受けている。真のユダヤ人は、律法の規定を守ることで、律法を与えた神に仕える生き方をしているはず。
  • 神に仕える人は、他者を無視して自分だけが神に仕える生き方をするのではなく、「目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師」(19)となって、人々に貢献する生き方をする。そうして具体的に神の栄光を表す。 
  • しかしパウロはユダヤ人と自称する人々が律法を守っていないと指摘する。(21-22)
  • 律法を誇りながら破っているので、神を侮り、神の名を汚す律法違反者なので、神の前では無割礼だと厳しく責める。(23-25)
  • このような「私はこういう人間だから、こう生きる」という自己意識と、実際の生き方が食い違い、矛盾しているという問題は、人ごとではない。

2.律法の規定を守る人

  • 主イエスは、何よりも神を愛することと、自分自身のように隣人を愛することの二つに、律法と預言者の全体がかかっていると教えた。(マタイ22:37-40)また、「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人」(マタイ23:13等)と語り、表面的な律法遵守者を厳しく叱責した。ユダヤ人は律法の全規定を事細かに守ろうとするが、最も大切なポイントからは外れてしまっていた。
  • 律法についての知識がなくても、神を愛し人を愛する人は、律法を守っている。(26)
  • 外面の割礼の有無にかかわらず、実際に神を愛し人を愛する人は、「御霊による心の割礼」を受けているとパウロは語った。(29)
  • 心から主の喜ばれる生き方をしたいと願っている人は、願い通りに生きると、結果的に律法を守ることになる…ということだろう。

3.心の割礼を受けている人

  • 14-15節に、心の割礼に当てはまる記述があった。
  • (14)律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合
  • (15)彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。
  • 人間は元々「神のかたち」に造られており、神をよく知るアダムやノアの末裔でもある。聖書を読む前に、すでに心に律法の命令が記されているのだ。
  • この指摘は、みことばを学んでいながら守っていない者に、自戒を促すためにした指摘である。読者は著者の趣旨を重んじて読み取るべきである。“良い人は信仰がなくても救われる”といった解釈ができないわけではないが、そういう読み取り方は慎みたい。
  • 真に考えるべきは、“自分は心に割礼を受けているだろうか?”ということである。傲慢に陥らずに自戒し、悔い改め、主のあわれみを求めよう。

参考箇所として、詩篇51篇を読もう。ダビデは深い罪を犯したが、その罪を悔い改め、神のあわれみを求めた。きよい心を造ってくださいという願いは、心の割礼を求める姿勢である。