2026年2月8日 主日礼拝

ローマ2:1-16

國分 広士 牧師

罪の話は重いから聞きたくないとこばまれやすい。しかし、罪の悔い改めがなければ救いもない。
医師は治療する前に、まず病気の診断をする。私たちも主に心の診断をしていただこう。

1.他人をさばく者は自分をさばいている

  • 拉致問題や、終わらない戦争に私たちの心は痛む。そのようなことを命令する為政者に怒りを覚える。悪を憎むこと自体は当然。ただし、自分はどうなのかも考えるべき。
  • 他人の行いは観察できるが、自分の行いは観察できないので、自分の問題には気がつきにくい。聖書は「さばくあなたが同じことを行っている」と指摘する。
  • ダビデ王は預言者からひどい男がいるという話を聞き、「死に値する」と断罪したが、預言者は「あなたがその男です」と答えた。(第二サムエル12:7)
  • ダビデだけでなく、私たちの問題。神の怒りを蓄えている(5)という表現はぞっとする。

2.神は各自の行いに応じてさばかれる

  • 良い行いには良い報いを神は与える。(7,10,14)
  • 悪には厳しい報いを与える。(8,9,12)
  • 「因果応報」と似ているが、同じではない。大きな違いは、「因果応報」は自動的に起きる結果なのであり、誰かの意思とは必ずしも結びつかないが、「神のさばき」は、どこまでも神の意思であること。さばき主である神は、なんでも知っているので、隠れた事柄もさばく(16)。一人一人の行いを全て把握し、良い面も悪い面も全て評価した上で、正しいさばきを与える(6)。
  • 人間は公平にさばくことが難しいが、神にはえこひいきがない(11)ので、正しくさばかれる。だからこそ、主を恐れることは知識のはじめ。(箴言1:7)

  • 神の前に悔い改めよう
  • さばき主は、いつくしみ深い救い主でもある。(4) そこに私たちの望みがある。
  • 神は人をあわれんで、単に厳しくさばくのではなく、そのさばきを身代わりに背負ってくださる。そこに望みを置き、自分の罪を告白し、主に身代わりになっていただこう。
  • 主イエスを自分の救い主だと信じるなら、主イエスが自分のどの行いをあがなって背負って下さったのかをわきまえよう。どれほど大きな問題の身代わりになって下さったかを知らないままなら、感謝もわかない。すなおに罪を告白しよう