2026年2月1日 主日礼拝

ローマ1:26-2:4

國分 広士 牧師

  • 朝、鏡で自分の顔を見ただろうか?
  • 聖書は心の鏡。聖書で自分の心を点検しよう。今日の箇所は、心の問題を深く点検する。

1.神が引き渡された(24,26,28)

  • 「引き渡された」という表現はきつい。欄外注には「任された」とある。勝手にしろ、我が身で結果を味わえと、放棄したというようなニュアンス。
  • 造り主を認めず「偶然に生まれた」と考える人は、親のない子のようなもの。存在意義は、誰かが価値を認めるから。子は親の宝。造り主が被造物を「良かった」と見るから価値がある。
  • 造り主を信じなければ、天国も地獄もリアルには思えない。この世がすべてだと、人生がつらければ死にたくなる。人生に楽しさを求め、罪深いものも追い求める。罪深さゆえに自尊感情を傷つけ、お互いにも傷つけあい、ますます存在意義を見失う。
  • 個人間の問題だけではない。国家間で対立すると、相手を悪と考え、悪を正すという大義名分で戦争という殺し合いを美徳にしてしまう。造り主の前では対等という価値観がないから。

2.自分にさばきを下している

  • 世の問題を分析し嘆く者は多いが、世の問題と無関係な者はいないだろう。誰もが何らかの形で問題に関わっている共犯者である。電力など、社会を維持するインフラを使わない人はいない。電力を作るために地球環境が悪化し、そのしわよせは弱者に最も過酷。
  • 「さばくあなたが同じことを行っている」という指摘を素直に認めよう。人を責めている場合ではない。他者ではなく自分が悪に染まっていることこそが最も大きな問題。
  • 私たちは本来、神のかたちに造られた価値ある存在。価値あるものが罪で汚れてしまっている。罪は自分では解決できない。汚れた手でいくら汚れを除いても、汚れを拡散させるだけ。造り主しか、罪の問題は解決できない。

3.神のいつくしみ深さが悔い改めに導く

  • 造り主は汚れた被造物をどうするのか?捨てて滅ぼすのか?きよめて再生させるのか?その両方である。※ヨハネ3:36を読もう。
  • いつくしみ深い神は、救い主イエス様を私たちの罪の犠牲にするために十字架に架けた。「友のためにいのちを捨てる」愛を示された。神のいつくしみを知った者は、どうするのか?自分の罪を悔い改め、神に従うのか?それとも、神が責任をとるから、自分の心は改めないのか?もし後者ならば、「豊かないつくしみと忍耐を軽んじている」。

  • 自分の罪を認めて主に告白しよう。いつくしみ深い神は告白を受け入れてくださる。
  • 「告白しても変われない。また同じことをしてしまうと思うと、悔い改められない。」と思うのは、「自分は変われるはず」という思い込みに縛られているから。変わりたくても変われないでいる現状を、ありのままに主に告白しよう。
  • 主が求めるのは、自己変革よりも、主を信じること。
  • 「主の名を呼び求める者はみな救われる。」ローマ10:13