2026年1月11日 主日礼拝

序
「福音派」ということばがあるが、その発祥はルターの宗教改革。ルターは神学校でローマ人への手紙の講解をするために深く学んだことが、やがて非聖書的なカトリック体制の批判につながった。ローマ人への手紙は「福音」を伝える意図で書かれている(1:15)。福音をよく知るために学ぼう。
1.あなたがたのところに行けるように
- パウロはローマ教会に行き、直接伝えたいと願いつつ、果たせないできた。やがて実際に行き、ついに殉教の地ともなるローマだが、早く行って伝えたいという情熱が、この書の執筆のモチベーションとなっている。
- ということは、主は、この書を書かせるために、ローマ渡航の時期をわざと遅らせたのではないかと思えてくる。主の時は不思議だが最善。
2.ともに励ましを受けたい
- パウロはローマ教会の人々を励ましたいと思っている。「御霊の賜物」とは、彼自身が御霊から賜った物ということで、その中心は「福音」。福音とは単なる思想ではなく、御霊の賜物。神がどのように私たちを救ってくださるのかを真に理解する面は思想だが、その信仰を他の人にも伝えて、信じた人々と豊かな愛の交わりを形成していく原動力は御霊。
- 御霊の働きに預かると、励ますだけでなく、自分も励まされる。伝える者も受け取る者も、同じ神を信じ同じ神に導かれていると感じるから。それは一種の「一体感」だが、全ての人も物も歴史をも導く御霊の手の中にいるからこそ得られる一体感であり、他の経験で味わう一体感とは異なる。
- (参考「御霊の実」 ガラテヤ5:22)
3.負い目
- パウロは全ての人に負い目を感じている。元は迫害者であった事が負い目の第一。滅ぼされるべき者が救われたという強い意識がある。それは私たちとて同じではないだろうか。
- 負い目の第二は、先に救われ、真理を教えられたこと。その信仰は自分自身だけのための信仰ではない。分け与えるために与えられたもの。こうした受け止め方は、旧約聖書時代から神のみこころとして教えられている。私たちに与えられる良きものは、他の人と分かち合うために与えられている。ひとりじめすることは、みこころではない。
結
願いが実現するかは「みこころ」による。神を信頼しているなら、みこころの時を待つ事ができる。早く顔を合わせて会いたいという願いは、遅れることがあっても実現したし、遅れたから得られた恵も大きい。主のみこころを信じ、期待し、今与えられている交わりの中で励ましあおう。

