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2025年11月30日 主日礼拝
1.序文:執筆事情
- ルカより前にマルコの福音書が書かれていた。ルカと同時期にマタイが福音書を書いており、それぞれ打ち合わさなく独自の編集方針で書いた。ルカもマタイも、マルコには書かれていない主イエスの誕生についての記事を書いているが、マタイは系図から書き始めて旧約預言の成就という長期的な観点で書いているのに対し、ルカはまず直近の出来事から書いており、より現実的に物事を捉えようとする傾向を示している。
2.ザカリヤの驚き
- ザカリヤは神の御使いを見て驚いた。聖書の他の事例においても、人々は御使いを恐れた。この世のものではないと直感的に感じるのかもしれない。
- 御使いの語ったことばにも、驚いた。老いた自分たちに子が与えられるという。
- しかも御使いは、これは旧約預言の成就なのだと語る。
- 見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、
- 預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
- 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。
- それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として
- 打ち滅ぼすことのないようにするためである。(マラキ書4:5-6)
- このことばは、神のさばきによって滅びないように、さばきの前に人々の心を整えるという尊い使命を語っている。ザカリヤの子がその役割を果たす。
- 実にすばらしいことだが、話が大きすぎて、ザカリヤは受け止められなかった。
- 「何によって」とは「しるし」を求めているということ。天使によって告げられただけでも十分なしるしのはずだが、それでは足りないのはなぜか。
- どんなしるしや説明が与えられても、疑えば疑える。へりくだって受け止める姿勢に切り替える必要がある。それが「信じる」ということ。
- 御使いが求めに応え、口が聞けなくなるという「しるし」を与えたのは皮肉。
3.エリサベツの喜び
- 口が聞けなくとも筆談はできたので、エリサベツは夫から御使いに告げられたことは聞いただろう。さらにつわりなど、自分の身で妊娠を知り、喜んだ。
- 「主は今このようにして私に目を留め、
- 人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」(24)
- 彼女は主が自分に目を留めてくださったことを喜んだ。自分は孤独ではなく、神の計画の中で生かされていると信じることができるのは幸い。
- 彼女にとって「恥」と思っていたことを、主はのぞいてくださった。主は自分の心をよくわかっていてくださると、彼女は感謝した。
- 「恥」の除去は、「罪の救い」を理解する上で大切なことば。アダムとエバが罪を犯した時から人は「恥」を感じ始めた。主はそれをよくわかってくださり、アダムとエバにも皮の衣を与えて、恥を覆ってくださった。
- ありのままを姿をだれにでも見せられることが最善。それには恥の除去が必要不可欠。主の十字架による罪の贖いこそ、真の意味で恥を除く。
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