2025年9月28日 主日礼拝

ヨハネの福音書9章1−38節

國分 広士 牧師

1.「原因は何か?」と問う問題意識(2)

  • 弟子たちは生まれつきの障害を「罪に起因する」と思っていた。
  • こうした問題意識は「因果応報」という仏教思想に似ている。
  • しかし主イエスは「誰がいけない、何がいけない」などと原因は論じないで、
  • 「この人に神のわざが現れるれるため」と、良い機会だと言われた。(3)
  • 問題の原因を追求するのは論理的に思えるが、現実には正確に原因を特定することは困難であり、悪者探しをして責任転嫁をし、解決できたように錯覚しやすい。私たち罪人には、罪の問題については正しく裁けないことをわきまえるべき。

2.神のわざ(3,6-7)

  • 主イエスは神のわざとして、泥を作り、盲人の目に塗り、シロアムの池に行って洗えと命じた。盲人が従うと、見えるようになった。
  • その日は安息日であり、ユダヤ人は一切の仕事をしない。泥を作るのも目に塗るのも、一種の仕事なので、律法にうるさいパリサイ人は安息日をやぶった罪だと考えた。(16)

3.「わざ」の評価

  • 「何が行なわれたのか」に注目する人(16,30-33)
  • 生まれつきの盲人の目を開けるというのは圧倒的な奇跡(しるし)。
  • 神は、「神を敬い、神のみこころを行う者」の言うことを聞かれるはず。
  • 奇跡を行ったゆえに、「神から出ておられる」と元盲人は評価した。
  • 「誰が行なったのか」に注目する人(14,16,22,24)は、律法は神の教えなので、律法をやぶる者が神のもとから来るはずがないと考える。癒しとはいえ、安息日に仕事をするのは罪だと考える。幾度も安息日に癒しのわざを行っているイエスは罪人だと考える。罪人のしたことなので、奇跡すら、正しく評価しない。   
  • 異なる評価による分裂(16)
  • 同じ事実を見ても、主イエスを信じる者と、否定する者とに分裂した。

4.イエスを礼拝

  • イエスが彼を見つけ出した(35)
  • 追い出された元盲人を、イエスは見つけ出した。その上で「人の子(救い主)を信じますか」と尋ねた。見えれば良いのではなく、信仰を持つことが真の目的だった。
  • 正直な告白
  • 元盲人は「信じることができるように教えてください。」と正直に求めた。わかったようなふりをすれば、救いを遠ざける。人に言われるのが嫌で自力で正解を見つけ出そうとするのも、救いを遠ざける。すなおに正直に、「教えてください」と求める態度が正しい。(36)
  • 明確な決心
  • 元盲人は、「主よ、信じます」と告白し、イエスを礼拝した。(38)
  • 彼はすなおに「教えてください」と求めたので、すなおに信じることができた。
  • 神の前では強がってはいけない。自分の弱さ足りなさを正直に認め、求め、受け入れよう。