2025年3月2日 主日礼拝

序
聖書にはわかりやすい話もあるが、理解しにくい話もある。それが大切なのだろう。全部理解できてしまえば高慢になってしまうし、理解不能なことばかりならば神秘主義になってしまう。理性的であると同時に、愚かさを認めて謙虚に従う者となるためには、わからない部分も含めて主を信じる姿勢が重要。それが主を恐れるということ。
1.ギブオンは主を恐れた
- 古代人も、その時点においては最先端の文化と技術を持って生きている。のほほんとしていたら生き残れない。国際情勢に敏感で、生き残り戦略をたて実行しているのだ。
- ギブオンはイスラエルの神、主についての正しい知識を得ていた。3節では直近のエリコとアイ攻略が記されているが、この事実はそれまでに得ていた知識の裏付けとなった。
- 9節では「主がエジプトで行われた」、「主が…シホンとオグになさった」と語っている。強大なエジプトも、武勇を誇るシホンもオグも、主にはかなわなかった。
- さらに24節には、主がイスラエルにカナンの全住民を根絶やしにするよう命じられたことを「はっきり知らされました」と語っている。自分たちが対抗し得ない偉大な神が相手なので、非常に恐れていたのだ。そこで和平の盟約を結んでもらおうとしたのだ。
2.だまされて結んだ盟約を守る
- ギブオンは遠くから来たと嘘をついてイスラエルと盟約を結んだ。ヨシュアはなぜだまされてしまったのか?なぜ主の指示を仰がなかったのか?疑問が残るが、人間らしい。
- 主はすべてをご存知なのに、なぜイスラエルがだまされるのを放置されたのか?嘘をどう考えるべきか疑問が残るが、すべては主のみわざだと受け止めるべき。
- 騙されたのだから誓いは無効としてもおかしくはない。それでも、「損になっても誓ったことは変えない」(詩15:4)という態度も聖書的である。
- こうしてイスラエルの中に住むカナン人という例外が生まれた。しかし、よく考えてみると、聖書には例外が多い。私たちの歩みにも例外が多い。というより、「原則通り」は滅多にないのであって、常に異なる流動的な状況の中で生きているのだから、原則通りでないほうが当たり前なのである。
3.主を恐れる者は救われる
- 「主を恐れる事は知識の初め」(箴言1:7)とある。ギブオンの態度が謙虚で、「あなたのお気に召すように扱ってください」(25)と語っていることに胸を打たれる。
- ギブオンは真に主を恐れていた。そして救われた。「主の名を呼び求める者はみな救われる」(ローマ10:13)のである
結
「嘘」も聖書の中では重要な出来事になる。ヤコブがだまされて結婚させられたレアの子孫から救い主イエス様は生まれたのだ。聖書は正論だけの積み重ねではない。主は全てのことを用いられる。罪の存在も「贖い」という価値を生み出すきっかけとなったのだ。
嘘を美化はできないが、むしろ、全てを益にする主をほめたたえよう。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。ローマ8:28