2024年12月8日 主日礼拝

ヨハネ福音書1章6-12節

國分広士牧師

1.すべての人が信じるための証

  • 主イエスの登場の前に、バプテスマのヨハネが登場する。
  • 誕生も半年前、同世代であり母方の親類同士。ヨハネ自身が聖 霊によって救い主が来られることを知らされていたし、父母か らも自身が母の胎にいるときに、マリヤの胎のイエスと出会っ たことを聞いていたのではないかとも思えるが、主イエスの公 生涯が始まるまでは、イエスがキリストだとは知らなかったよ うに語っている。(ヨハネ1:31~34)
  • “私自身もこの方を知りませんでした。”
  • “御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。”
  • “私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。”
  • 使徒ヨハネはバプテスマのヨハネについて「彼は光ではなかっ た。ただ光について証しするために来たのである。」と解き明か す。主イエスが太陽ならヨハネは月。太陽の光を受けて輝くの であり、自身では発光しない。それでも闇夜では月の光がある かないかは大違い。月は半月や三日月のように、太陽に当たる 面だけが光る。新月には全く光らない。ヨハネも「まことの 光」である主イエスに照らされてこそ、証ができた。

2.ご自分の民が受け入れなかった

  • 被造物である私たちは、造り主を喜び迎えて当然。しかし、主イエスが地上の歩みをされているとき、彼を造り主と信じる者は多くなかった。主イエスの輝きは、信仰ある者にはわかった。彼のことばや行いは、輝いていた。しかし、目が開かれていない者は受け入れなかった。
  • 主は、受け入れた人には神の子どもとなる特権をお与えになった。この特権を受けるために、ヨハネは証した。先に主イエスを救い主キリストと信じた者は、ヨハネと同じ証の使命が与えられている。