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2024年12月1日 主日礼拝
1.初めに
- 創世記1:1を思い出させる書き出し。しかし創世記では神がどういうお方かの説明はない。神のなさった創造のみわざが記述されることで神の偉大さを知る 神はこの世界の造り主なので、存在は自明なのだ。
- ヨハネの福音書でも神についての説明はない。説明は「ことば」と言われる方についてである。神は自明だが、「この方」が神であることは説明しなければならないのだ。
- 説明の第一は初めに存在していたこと。
- コロサイ人への手紙 1章17節にはこうある
- “御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。”
2.ことばがあった
- これがイエス様を指していることは14節から明らか。
- ヨハネがイエス様を「ことば」と表現する例は、ヨハネの黙示録19章13節にも見られる。
- “その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。”
- ではなぜことばと表現するのか?
- エレミヤ書23章29節には“わたしのことばは火のようではないか─岩を砕く金槌のようではないか。”とある。神のことばは力強い。イエス様は力強いことばで波風を鎮め、悪霊を追い出し死人を生き返らせた。
- またヘブル人への手紙4章12節には
- “神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。”
- とあり、力だけでなく真実であることも神のことばの特質として語られている。
- 同じ言葉を用いても、サタンは悪に人を導こうとした。悪い言葉を聞くと、言葉の真実性を疑いたくなる。言葉には裏があると考えてしまう。
- しかし結局私たちは言葉によらなければ真実を知ることはない。生命の設計図であるDNA も一種の言葉。宇宙を支配する物理学法則も一種の言葉。この世界も私たちもことばでできている。それもそのはず、ことばであるお方によって、その方のことばで作られたのだから。
3.人の光
- イエス様は「光」とも言われる。光の特質は闇を照らすこと。
- 天の御国には夜はない。“もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。”黙示録22:5
- だから、不真実なものは天国では存在できない。
- 私たちを真実な者に造りかえ、神の御前で生きるようにしてくださるのがイエス様。イエス様を信じよう。
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