2023年10月8日 主日礼拝
1.嘲りの言葉
10節の『ツァウにツァウ、ツァウにツァウ、カウにカウ、カウにカウ』は、新改訳第三版では「戒めに戒め、規則に規則、ここに少し、あそこに少し」と訳されていた。一方、新共同訳聖書は以下のように、ヘブル語をそのまま表記し、意味をカッコに記した。
「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ」(命令に命令、命令に命令)
「カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ」(規則に規則、規則に規則)
- 新改訳2017は新共同訳の表記法を導入し、さらに、続く「ここに少し、あそこに少し」も『あっちにゼエル、こっちにゼエル』と表記した。
- この部分は「言葉遊び」なので、意味を伝えるよりも言い回しを重視して表記している。
新改訳2017では欄外注にことばの意味を記している。 - 主の教えがことば遊びの対象となっているのは、例えば「アーメン」をわざと「ラーメン」と言ったりするような、侮蔑的な意味合いがある。
2.嘲る者への呼びかけ
- さらに15節では、「死と契約を結び…たとえ、洪水が押し寄せても、われわれには届かない。」と豪語する。他の人は滅んでも、自分は滅びないと思っている。
- その自信の根拠は、「まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきた」…つまり、これまではうまくごまかして切り抜けられたから、これからも同じようにできるだろうと思っているの。これが「嘲る者」の本音だが、恐れを知らないのは、あまりにあさはか。
- 主は愚かな嘲る者を無視するのではなく、「聞け」と呼びかける。愚か者の滅びを望まず、悔い改めて救われることを、願っておられる。
3.礎として据えられる石
- このことばは、キリスト預言として新約聖書に引用される。ローマ9:33にはこうある。
「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。
この方に信頼する者は失望させられることがない」 - この引用では、礎石でなく「つまずきの石」とある。ユダヤ人が主イエスを信じないで十字架にかけたことを思わされる。礎石にする大きな石だと認識するなら、つまずくはずはない。十字架にかけた者たちは、主イエスを過小評価したからつまづいたのだ。主イエスが正直にご自分をキリストだと認めたのを、冒涜だと思ったのは過小評価の故。
4.試みを経た石
- 試みとは主の味あわれた苦しみ。サタンにも試みられて、信頼できる神の子であることが確かめられた。
- さらに十字架の苦しみによって、主が本当に罪なき者として死なれたことが確かめられた。
- 主の十字架の贖いによって、救いの基礎がしっかり据えられた。この方に信頼するものは、慌てふためくことはない。どんなに危険が迫っても、肉体が滅びるだけ。たましいは主の御許に召される。
- 主イエスの前で、人は二つに分けられる。一方は主イエスを救い主と信じ、他方は信じない。一方は主イエスによって救われ、他方は救いなきまま滅びる。
- 主イエスを信じよう。
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
(ペテロ第一2:4)