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2023年2月12日 主日礼拝
1.(5-7)心の中にシオンへの大路がある人
- 「シオン」はエルサレムのこと。ダビデが王国の首都とした町であり、ソロモンが神殿を建てた町。シオンへの大路は、神殿に行く人々が行き交うので、「シオンへの大路」は、主なる神とのつながりを象徴する表現。
- 現実生活の中では神殿に行けないこともある。厳しい状況に置かれ、主に祈りたいけれど、神殿には遠い位置にいることもある。しかし、心の中にシオンへの大路があるならば、どこにいても主に祈ることができる。これは信仰。主イエスを信じた者は心に聖霊がおられる。どこにいても主に祈ることができる。
あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。 コリント第一 3章16節
- 「初めの雨」とは雨季の最初の雨で、10月末から11月頃に降り始める。イスラエルは夏季が乾期で冬季が雨期。夏季で乾燥した大地を潤す初めの雨が降ると耕作ができるようになる。乾燥地であるイスラエルでは「泉」「雨」といった水は何よりの祝福。試練の後に祝福が与えられるというイメージ。
2.(8-9)主の愛を実感したい
- 主は祈りを聞かれると理解していることと、実際に自分の祈りが聞かれていると実感することには差がある。8-9節のことばは実感し安心したいと言う求め。心理的安定も私たちは必要としている。主はその必要も知っておられる。
- 私たちは自分の愛する者に、自分も愛されていると感じると安心する。「聞いてください」「耳を傾けてください」「目を留めてください」という願いは、幼いこどもが母親を求めるような願い。その願いは誰もが持っている。願いを素直に表現できるのは幸い。主に祈り、心の願いを訴えよう。
3.(10-12)主とともにいることを求めよう
- 「大庭」は神殿の庭。エルサレム神殿は皆が建物に入れるのではない。祭司以外の礼拝者は神殿の庭で礼拝する。主を礼拝できることを喜んでいる。
- 1日と千日の比較表現と、天幕と門口との比較表現は、短くても屋外でも、主につながることがより幸いだと言っている。主が全てを造られた。主こそ太陽のような祝福の源泉。この方につながっていることこそが真の幸い。
- 私たちにとって、実際に主につながるのはどういうことによってか。礼拝出席が第一だが、個人のデボーション(祈り聖書を読む時)も大切にしよう。
- 「シオン」を主日礼拝とするなら、「心の中のシオンへの大路」はデボーション。そう思って7節を読むなら、日々、デボーションで主に心を向け主から教えられている人は「力から力へと進み」、礼拝において「神の御前に現れ」る。
- そのような礼拝者を詩篇作者はたたえ、最後の12節で「主よ あなたに信頼する人は なんと幸いでしょう」と結ぶ。冒頭の1節では「あなたの住まいは慕わしい」とたたえたが、神殿のすばらしさは、礼拝者が集うから。主への信仰こそが大切。主ご自身が聖書に「幸い」と記し、その価値を認めているのだから、自分たちの祈りの価値を評価しよう。主を信じ祈る者は心が天に繋がっているのだ。
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