2022年6月12日 主日礼拝

ルカの福音書 5章27〜32節
國分広士牧師

1.取税人が主イエスの弟子となる

  • 主イエスの弟子となった取税人レビは、マタイの福音書を書いたマタイのこと。
  • 彼はイエス様に「わたしについて来なさい」と招かれ、全てを捨てて従った。
  • 簡潔にしか書いていないが、マタイ自身の心の中には悩みや迷いや葛藤があったことだろう。取税人はローマ帝国の手先として身内から憎まれる。よけいに取り立てて私腹を肥やすことはできるが、人々からは軽蔑される。そうした罪深い生き方から脱して、健全な生き方に移りたいと言う願いを持っていたからこそ、イエス様の招きに応じることができたのだろう。
  • レビは弟子になった記念として自宅で盛大なパーティーをする。そこには主イエスと弟子たちのほか、取税人仲間や、様々な人が集まった。取税人が悔い改めたと言うニュースに関心を持ったのか、パリサイ人や律法学者も来た。

2.小声で文句を言う

  • パリサイ人にとって、取税人をやめたレビは良しとしても、まだ現役の取税人たちと同席するのは自分を汚す行為に思えた。指定暴力団員が同席するパーティーのような印象だろう。
  • 彼らは小声で弟子たちに文句を言った。大声なら誰の声かわかってしまうが、小声なら自分だと特定されにくい。匿名での発言は本音を発しやすいので、耳にした人には強い影響を及ぼす。平然と人の心を突き刺すことにもなりやすい。
  • 静かに去るのでも同席したくない相手に「帰ってくれ」と言うのでもなく、イエスの弟子に文句を言ったのは、反論されないため。弟子に対しては、「君もあいつらの仲間だと誤解されるよ」と、心配しているポーズも感じる。こうした偽善的発言はよく耳にするが、この発言で一番傷つくのはレビ。

3.罪人を悔い改めさせる機会

  • 主イエスはパリサイ人たちの言葉を聞き取り、レビを擁護するために反論する。私たちの偽善的つぶやきにも、それで排除される人を守ろうと、主が反論されるかもしれない。
  • 31節と32節は同義反復の並行表現。「医者」は「わたし(主イエス)」。「健康な人」は「正しい人」。「病人」は「罪人」に言い換えられている。
  • 主イエスはご自分の使命を、「罪人を悔い改めさせるため」と考え、その実現のために、「罪人を招くこと」も使命だと考えておられた。罪人たちと食事の交わりをするのは、意義あることだと思っておられたのである。レビに習って悔い改める人が起こされるかもしれない。ルカ19章に登場するザアカイは、取税人の悔い改めの好例。主イエスに従ったレビの証は用いられた。
  • 「正しい人」とは誰か?「義人はいない。一人もいない」(ローマ3:10)
  • 実は全ての人が主イエスに招かれている。パリサイ人も。やがてパリサイ人サウロは主イエスに招かれて悔い改め、主イエスを伝える人に変えられる。
  • 自分自身も、主イエスに招かれている、悔い改めるべき罪人であることを自覚しよう。人を嫌っている場合ではない。