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2022年5月1日 主日礼拝
1.主の民となるために (1-2)
- 偶像を作ること、拝むことが禁止されている。偶像は真の神である造り主に従うことの、直接的な妨げとなる。
- 考古学的発掘で一番目立つ出土品は偶像。いかに人々が偶像に関心を持っていたかがわかる。現代も偶像は作り続けられ拝み続けられ造り主は忘れられている。
- 「偽りの神々」を書いたティモシー・ケラーは、現代文明も祭司制度を持ち、像や儀式を行なっていると語っている。オフィスタワー、スタジアム、ジム、スタジオなどに人々は集まり、カリスマ的なリーダーの元で、システマチックな仕事やスポーツや音楽といった儀式を行なっていると。それらの教えの約束である美しい容姿や権力や経済力を求め、時間やお金や家族を犠牲としてささげているのは古代人の偶像崇拝と同じようなものであると。
- 真に期待をかけるべきは偶像ではないと主は戒めている。
2.主の民の受ける祝福 (3-13)
- 主に従う者に与える祝福は雨。雨は造り主だけが与える恵み。
- 収穫、平和、子宝といった祝福が続く。主に従う者には、豊かな恵みを与えると主は約束された。そうした個々の祝福より重要なのは12節「わたしはあなたがたの間を歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。」主の民の中には、主がともにおられる。それ以上の祝福はない。
- 主が祝福を与えるの目的は、天国の幸いをあかしすること。地上において幸いを受けることは、主をあかしするためであって、最終的な目標ではない。
3.主の掟を拒む主の民が受けるのろい (14-22)
- 主の民イスラエルが主に従わないと、様々な苦しみを受ける。
- のろいを恐れて主の民とならない選択をする人もいる。主と関わらなければ、祝福もないけれど呪いもないと考え、そのほうがましだと思うのだ。
- しかし、天国の希望を持てない地上だけの歩みは、必ず消え去る。それはいわば切り花。いのちを与えた方にとどまらなければ、必ず枯れる。
- いのちを与えた方にとどまり、従い、主の民となることを、選びとろう。
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