2022年4月24日 主日礼拝

レビ記 25章1~20節
國分広士牧師

1.安息年(1-7)

  • この命令は十戒が与えられた頃、シナイ山で主から受けた命令。約束の地に入る以前に受けていた。
  • 約束の地で耕作をして収穫をあげられるようになったら、6年間耕作し、7年目は「地の全き休みのための安息」として休耕するよう命じられた。
  • これは「安息日」と同じ考え方。7日目は主の安息日であり、7年目は主の安息の年。主の命令というところがポイント。
  • 日本でも、同じ作物ばかり育てないとか、ある期間土地を休ませるといった工夫がなされている。休ませないと土地が荒れてしまう。そうした日本の休耕より大規模に、社会全体で休みの年にするように主が命じられている。
  • 休耕地から自然と生えでたものは、収穫はしてはいけないが、その地で食べるのは自由。貧しい人や動物が食べることができる。安息年の目的は土地の活力の回復だけでなく、全ての存在の益のため。

2.ヨベルの年(8-17)

  • 安息年を7回繰り返した翌年、すなわち50年目は「ヨベルの年」。この年も労働をしない安息年だが、さらに「解放の年」となる。貧しい人が土地を売った場合、ヨベルの年には売った土地が持ち主に返されるのである。
  • 土地売買は最初からヨベルの年を前提に、収穫の回数で価格を決めるようにということも教えられている。

3.主の掟を行い主の定めを守る(18-22)

  • 安息年を守ることができるように、主はその前年に三年分の収穫を与えると約束された。その蓄えがあるので休める。
  • 安息年は、病気などで体を壊した人には回復の期間になる。
  • ヨベルの年は、借金などで貧困化した人には、生活再建の機会となる。
  • 安息年やヨベルの年は、富を蓄えすぎず、適度に消費し、還元していくという教え。それによって、皆が安らかに住めるようになる。
  • 富が一極集中することで貧困が生まれる。現代社会は加速的に富の一極集中と貧困化が進んでいる。貧困者への援助活動さえも、それによって税金が免除されるといった実利で誘導するなら、富の集中は防げない。蓄積した富を適度に消費するには、生産活動自体を休むことが必要。

4.主を信頼して休む

  • 生産活動を休むことは不安をうむ。主への信仰なしにはできない。
  • ヨベルの年の実行記録はない。「理想にすぎない」と思うなら意味はない。「まず私が実行しよう」と思うならチャレンジになる。
  • 「安息日」すら実行していない人に「安息年」は無理。「ヨベルの年」はなおさら。まず7日ごとの「安息日」を重んじ、主に頼ることの幸いを学ぼう。