2022年1月16日 主日礼拝

レビ記 6章1~7節
國分広士牧師

1.主の信頼を裏切る

  • 罪に陥ることの一番大きな問題は、主の信頼を裏切ることである。被害を与えた相手に申し訳ないというだけの問題ではない。「神のかたち」として造られた主は、人が主に似た生き方をすることを期待している。
  • 2-3節には、陥りやすい過ちの例がいくつか示されている。「預かり物」「担保の物」は預かった者が保管しておくべき物だが、預かった者がそれを私物化してしまう過ちが起こりやすい。「かすめた物」とは、密かにかすめ取ることによって生じた物。なぜあなたが持っているのかと問われた時、元々自分の物だと欺くこともおこりやすい。人の物を脅迫してゆすり取るのは、「もらった」と言い訳をしやすいので、起こりやすい罪。落し物を拾ったなら届け出るべきで、私物化するのは罪だが、これも元々自分の物だと偽りやすい。
  • 問い詰められた時には強硬になって偽りながら、あとで後悔することもよくある。ペテロがにわとりの声を聞いて主の信頼を裏切った罪を自覚したように、冷静に自分の言動をふりかえると、とんでもないことをしたと後悔する。後悔した場合の償い方を主は教えてくださった。

2.被害者への償い

  • 償いには2面がある。第一は、被害者への償い。まず相手から取ったものを返す。さらに、その五分の一(もしくはそれに相当するもの)を付け加えて返す。利子をつけて返すような形。
  • 日本の刑法では被害者救済が弱い。被害者は民事訴訟で賠償請求をすることもできるが、本来不要な請求の努力を被害者に強いる仕組み。被害者には加害者が利子をつけて返還することを基本にしているのは愛の律法。
  • 取税人ザアカイは、「だましとったものは4倍にして返します」と主イエスに語ったが、その考え方は律法から出てきている。

3.主への償い

  • 第二の償いは主への償い。被害者だけに償うだけでは不十分。罪は主の信頼を裏切ったという問題だから、主に対しての償いが必要。そこで羊を祭司のところに連れて行き、祭司に宥めをしてもらう。被害者だけとのやり取りで終わらせるのは、示談交渉で立件せずに終わらせるやり方と似ている。主への償いがあってこそ、罪を自覚し悔い改めたことをあらわせる。
  • 主イエスの十字架の贖いは、主への償いを主ご自身がしてくださったということ。羊では人間の身代わりとしては不十分なのだ。
  • 神への償いがなされたことが基本にあるから、私たちの課題は、償われた者として、お互いへの愛を表すことになる。