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2022年1月9日 主日礼拝
1.罪のきよめのささげもの
- 1章では「全焼の生贄」、2章では「穀物のささげ物」、3章では「交わりのいけにえ」「食物のささげ物」といった、異なる名称のささげものが示されている。1は総合的な意味でのささげもの、2は感謝のささげもの、3は神ご自身との豊かな交わりを意味しているが、4章の「罪のきよめのささげもの」は特に、自分自身の犯した罪を意識して、その赦しを求めるささげもの。
2.血と脂肪
- 3:17には「脂肪も血も食べてはならない」とある。血はいのちを象徴し、神にいのちをささげるため、特別に扱われる。5節では祭司が血を会見の天幕に持って行き、神の臨在を示す垂れ幕に血を振りまくとある。34節では祭壇の四隅の「角」と呼ばれる突起物に血を塗り、残りは祭壇の土台に流すことが規定されている。いのちが主に捧げられたことを示しているのだろう。
- 脂肪は「食物のささげ物」として、「主が食す特別な部分」として、すべて取り除いて(35)祭壇で燃やして主に捧げる。交わりにいけにえでは、特別部分以外は民が主の前で食べ、主と食事の交わりをする。「罪のきよめのささげもの」では人は食べず、脂肪など特別部分以外は灰捨て場で焼く。(4:11-12)
3.「こうして…罪を除いて」「そして…赦される」
- どうせ全部焼いてしまうのに、脂肪を全部取り除くといった手間をかけるのはなぜか? 面倒に思える手順を規定通りに行う心の姿勢に意味があるようだ。自分なりにやればいいのではなく、主が命じられたように行うという従順が大切。
- 35節で「脂肪はすべて取り除く」という規定のあとで、「こうして祭司は彼のために、陥っていた罪を除いて宥めを行う。」と、脂肪の除去と罪の除去が関連づけられて書かれていることに注目。
- 罪は部分的に悔い改めるだけでなく、心を全部主に明け渡す姿勢が重要。すべて主に委ね、「そして彼は赦される」という結果に至る。
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