2013年8月4日 主日礼拝
1.喜んで家に迎えた
マルタは主イエスを愛し、喜んで自分の家に迎えた。しかし、彼女は主イエスを迎えながら、しだいに心の平安を失っていた。私たちも、主イエスを心に受け入れた時は感激するが、受け入れた後で平安を失うことがある。それはマルタに似ているのかもしれない。
2.いろいろなことを心配した
マルタは主イエスをもてなすために心を砕きいろいろな心配をした。そして、自分には手伝いが必要だと感じ、主イエスのみことばに聞き入っている妹マリヤに怒った。本当はうれしいことをしているのに、自分と妹を比べてひがんでしまったのだ。さらにマリヤに手伝いを命じない主イエスが自分を無視しているとも感じ怒った。愛する主をもてなす、自発的な喜びの行為をしようとして、当の主イエスに怒るのは、大切なものを見失っている。
3.必要な事は一つだけ
主イエスは、マリヤは良いほうを選んだと語った。マリヤがしていたのは主イエスのみことばに聞き入る事。それは主と心が通っている姿。主イエスと心が通い合うことこそ、本当に必要なことだったのだ。たとえ形式的に礼拝を重んじていても、心が神と通っていなければ、結局マルタのようにいらだったり、さびしくなったり、人を裁いたり、神に不平を言ったりする。主と心が通う事を願おう。それこそ弟子のあるべき心の姿である。