2014年3月2日 主日礼拝

創世記 2章1~3節
國分広士牧師

1.神が聖とされた

神は六日間で創造のわざを終えられた。七目目は完成を告げ、休まれ、七目目を聖とされた。聖は俗との区別を表す。また聖という漢字には「神の声がきこえる」という意味があるので、他の六日間との決定的な違いは、神との交わりにある。神がこの日、私たちを礼拝へと招いて下さっているのだ。

2.我らも聖とする

十戒の安息日の戒め(出エジプト記20:8-11)には、安息日を積極的に守る事が教えられている。ここでのポイントは、私たちの応答にある。神は礼拝へと招いて下さっているが、応答するかどうかは人間次第。子どもも、しもべも、皆が招かれている。キリスト教では、主イエスを信じる事を告白するため、あえて礼拝を日曜日に守るようになった。

3.やがて聖とされる

黙示録には、新天新地において、神との交わりが完成する事が記されている(黙示録21:2-4,22-23)。そこでは全てが充足し、神との交わりは一時的でなく永遠。私たちがあこがれ目指すのは、この完全に聖とされる事。その望みを持っている事を、主日礼拝を守ることで、私たちは告白する。