2014年3月16日 主日礼拝

創世記 2章18~25節
國分広士牧師

1.助け手が必要

人が一人でいるのはよくない。人には助け手が必要だから。神は人を一人で生きる存在としてではなく、助け・助けられて生きる存在としてお造りになった。私たちにとって一番大切なのは家族。次に友人。結局「助け手」が大切。本当に必要としている存在を大切にしよう。

2.見つからなかった

様々な生き物を神は人に見せられた。それらは人に喜びを与えるが、「ふさわしい助け手」とはなり得なかった。自分と対等にわかち会える存在を人は求めているが、なかなか見つからないという経験を、神はあえてさせた。ついに出会った人を感謝する事ができるように。

3.神が連れてこられた

神の最後の被造物は女。女は男のために造られた。男は女のために、前もって造られた。アダムは一目で気に入り彼女を「私の骨からの骨、肉からの肉」と呼び、かけがえのない存在が与えられたことを喜んだ。自分を造った神が、自分にふさわしい助け手を知っておられる。主に期待し導きを求めよう。