2014年6月22日 主日礼拝

サムエル記第一 1章1~28節
國分広士牧師

1.心を注ぎ出す祈り

祈りは表面的な内容になることが多い。自分の心を開いて、神に本当の自分の思いを語るのは簡単ではない。よほど心の余裕がなくならないと、本音の祈りにならないことが多い。ハンナも追い詰められたからこそ必死に祈った。ただでさえ子が生まれない悲しみを背負っているのに、ぺニンナわざと彼女をいらだたせた。しかも、心の慰めを得られるはずの、神への礼拝のタイミングで。しかし苦しみにあったことは幸いだった。

2.心に平安が

ハンナは「主に心を注ぎ出していた」(15)。神はこのような心のへりくだりを喜ばれる。(詩51:17) ハンナの祈りがその場限りの表面的なものではなかったことは、心の変化でわかる。彼女の表情が変わり食事ができたのだ。まだ祈りの結果は見ていないけれど、神が必ず良い結果をくださると信じて、本当に安心したことがその変化から読み取れる。

3.神への従順

さらにハンナは誓願を果たした。祈って良い結果を得ても、その後に神に従順に従うかどうかは分かれる。先延ばしにしたり反古にしたりして誓願を果たさなければ、サムエルは大預言者にはならなかったかもしれない。決意して神に真実を告白した者は、従順に従うことも選び取ろう。