2014年6月29日 主日礼拝
1.主は人の歴史を見ておられる
罪を犯し神のもとから追放されても、神は人に関心を持ち続け、九百歳も生きる初期の人の生涯も見守り続けられた。人の一生は全て天の書物に記録されている。しかし神は単に傍観しているのではなく、みこころに従って歴史に介入されるときもある。
2.人の齢を120年に
神に背いて生きる人間は、常に悪いことを考えていた。神は立ち返らない人間の心を見られ、ついに人の齢を120年にすることを宣言された。ノア以降、900歳台はいなくなり、アブラハム以降は、100歳台になる。もはや人間にはむだにすごす時間などほとんどない。だからこそ、今、真に意味のある生き方を、主に求めるべきなのである。
3.残念に思う
造り主には創造の意図がある。愛に満ち聖い主は、ご自分に似せた人間が、汚れや非情を行うことを計画されたのではない。しかし、罪を犯す人間は、どんどん主の意図からそれて行く。いつも心に悪い思いがあるので、多少の罪など罪とも思わないのだ。もしも汚れた手を洗いもしないで、ごちそうを食べる人を見るなら、どう感じるだろうか?主は残念に思われた。罪を悔い改めないを、主は残念に思われている。