2014年8月17日 主日礼拝

ルカの福音書 16章19節~31節
リチャード・ブラッシュ師

詩篇116篇15節:「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」自分の死のため、どのような備えをすべきだろうか。私たちがしなければならない「終活」について考えたい。

1.

「大きな淵」を覚えて、死んでから天に行けることを確認しよう。クリスチャンの死後の行き先はイエス・キリストご自身にかかっている。ただただ、イエス・キリストにあって、恵みのゆえに、信仰によって救われる。

2.

朽ちていく物のために生きるのは愚かだ。お金や財産をいっぱい持っていなくても、私たちの心は朽ちていく物のために生き、また富に仕えがち。私たちは、何のために生きているのか。ラザロのような隣人を無視して生きていないか。30節:「悔い改め」が必要。

3.

人家族や知り合いの方に救いを伝える大切さ。私たちに福音を伝えてくれた人たち、私たちのために祈ってくれた人たちは(もし彼等が既に召されているならば)、私たちが死ぬときに永遠の住まいで私たちを待っている。大きな喜びを持って、彼等は永遠の住まいに迎えてくれる。私たちから福音を聞いて信じた人たちもそうだ。その喜びをおぼえて伝道に励む。

結論

たとえ話の金持ちを、反面教師として教わろう。神様は、ラザロと同じように、クリスチャンの名前を決してお忘れにならない。イエス・キリストにあって、永遠の喜びを約束しておられる。