2015年2月8日 主日礼拝

創世記 18章16~26節
國分広士牧師

1.アブラハムにみこころを示す神

主はアブラハムに、これからなさろうとしている裁きを予告することにした。アブラハムを召したのは、神の義と裁きを明らかにし、裁きからの救いの計画を成就するためだった。召した目的をアブラハムに理解させることで、彼の積極的な服従を願ったのだ。それで、ソドムとゴモラの罪深さを確認した上で裁くご計画を明らかにされた。

2.救いを求めるアブラハム

アブラハムは主の計画を聞き過ごせなかった。ソドムにはロトがおり、彼の娘をめとった婿がいる。ロトの友人たちも大勢いる。アブラハムにとって滅びて欲しくない人、少なくとも50人はいたのだ。アブラハムは自分が要求できる立場でないことはわきまえつつ、主に赦しを願った。その論点は、ソドムは罪深い町だが正しい者もいる。このままではその正しい者たちまで滅ぼされるということだった。

3.赦しの約束

主はもしや50人の正しい人がいたらという問いに対して、それなら町全部を赦すと約束してくださった。町全体からすれば50人はほんのひとにぎりにすぎない。わずかな者が、多くの者を救うというのは、聖書で繰り返されるテーマであり、キリストの身代わりの死を暗示する。こうしてアブラハムは神の義の裁きのお考えと、その義の裁きをも赦す神の愛を明らかにした。アブラハムのように「正義と公正」とを行うために、私たちも召されている。