2015年9月20日 主日礼拝

黙示録 20章11~15節
國分広士牧師

1.黙示録は終わりの日の裁きの預言

聖書はこの世界に対して抱いておられる神の御心が記されている書。最初の書の創世記は世界の始まりが記され、最後の書の黙示録は、世の終わりの裁きが記されている。黙示録には無罪とされた者たちの入る新天新地も約束され、完全な救いについて教えている。しかし、救いの前に、罪が完全に裁かれることもおぼえなければならない。

2.人生の行いは全て記されている

人間が行う裁きは不完全。それは事実を完全に知ることができないから。しかし神の裁きは完全。人間の全ての行いは神の書物に記録されている。神はその人の全人生を振り返り、その行いに応じて裁く。隠すことはできない。帳消しにすることもできない。ただ、良いことも悪いこともありのままに全て記されている。

3.いのちの書に名が記される幸い

人の行いを記した書以外に、「いのちの書」がある。これは、救われる者の名前が記された書。これに名が記されるのは誰なのか。すべての人は罪人なので、行いだけを考えれば誰も救われない。しかし、主イエス・キリストを信じる者は救われる。(参ヨハネ3:16)キリストの十字架の死は、罪人たちの刑罰を身代わりに受けた死刑だった。本来は自分の受けるべ罪の刑罰をキリストが代わりに受けてくださったことを信じる者は、いのちの書に名が記されるのだ。自分の罪を悔い改め、主の十字架のあがないを信じて、いのちの書に名を記していただこう。