2018年9月30日 主日礼拝
あなたは私の隠れ場 私の盾。私はあなたのみことばを待ち望みます。(詩篇119篇114節)
隠れ場・盾(113-116)
- 戦いの時には、敵の猛攻を一時的に避けることが必要な場合がある。追っ手の追跡を逃れる「隠れ場」や、大量の矢が飛んでくる時に全身を覆える大きな「盾」があるかないかは、生死を分ける。
- 戦争だけでなく、日常の場においても戦いがある。詩篇作者ダビデは、家来の時代、サウル王にあらぬ疑いをかけられ、またその王にとりいる者たちによる密告で命を狙われた。幾度もピンチを逃れる経験をし、神の守りを体験した。ダビデにとって神こそ隠れ家であり大盾であった。
- 神に忠実であることこそがダビデの生命線だった。神の選んだ王にも敵することはせず、だからこそみことばを待ち望んだ。
神のさばきを恐れる(117-120)
- 追っ手は自分より強いが、神の方がもっと強い。神は正しい方であり、悪しき者をさばかれる。人間同士の争いにおいて勝敗が決すること以上に、人それぞれが神にどう裁かれるかが重要。たとえ人間的な勝利を得ても、神に裁かれるならその人生は虚しい。
- 神のさばきを恐れるとは、その裁きが現実に起き、実際に裁かれれば望みはないと本気で信じているということ。「神の裁きなどあるはずない」「たぶんないだろう」「あっても自分には無関係だろう」「たとえ裁かれても大したことはないだろう」と思う人は、神を恐れない。
- 本気で信じるダビデは、恐れで震え、それが彼の誠実さを支えていた。
幸いの保証人となってください(121-125)
- ダビデは逃避行の過程で色々な人に頼り助けられたが、密告されることもあった。逃避行の最後はイスラエルの敵であるペリシテ人の領地に逃れたが、そこでも敵視された。頼れる人がいない中でダビデは神が自分の保証人とあることを願った。
- この願いはかなえられるのか?かなえられる。神はダビデの保証人としてキリストによる罪の贖いを行い、サタンによる罪の追求から救われる。
主が事をなさる時(126-128)
- 「今こそ」と考えるは大切。時を決めるのは神だが、私たちはいつ神が事をなさるのかはその時までわからない。「まだその時ではないだろう」と油断していると突然、時がくる。だからいつでも「今こそ」と思って、主の時を待とう。
- 私たちが今こそすべきことは、金よりも純金よりも神のことばを愛する事。神のみこころを神のみことばで知り、それに聞き従う事。これより重要なことは他にない。