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2020年1月12日 主日礼拝
1.「あなたは何ということをしたのか」
- 「ゴーンはたくさん話したが、聞きたいことは聴けなかった。」
彼が話したのは「自分は何をされたか」であり、「何をしたか」ではなかった。聞きたかったのは、彼が「したこと」だったのに。 - 神が尋ねたのも、したこと。でも人は「されたこと」について強く語り、自分がしたことは取るに足りない小さなことと語ってしまった。
2.何をしたのかをよくふりかえろう
- まず蛇が女に話しかけた。それは「されたこと」。
(蛇はサタンに利用されたと思われる。) - 蛇の問いかけに答えたのが、第一に「したこと」。何と答えたか?
1 -私たちは園の木の実を食べてもよい …これは正しい。
2 -園の中央にある木の実 …これは不正確。2:9には「園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。」とある。
3 -それを食べてはならない。それに触れてもいけない。…これもおかしい。2:17には「善悪の知識の木からは、食べてはならない。」とある。
4 -死ぬといけないからだ …違う。2:17には「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」とある。
→人の返答をよく考えてみると、神の言葉を正しく理解していない。
付け加えがあり、意味を変えて弱めたりしている。
※申命記4:2には「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」とある。 - エバが罪を犯した時、アダムもそこにいた。なぜ止めなかったのか?エバが食べても死なないことを確認してから自分も食べたというのはひどい。
- 「あの人が最初にやった」という発言を聞くことがある。やはりアダムの子孫。自分の責任を認めないままでは、悔い改められない。
3.隠れ、言い訳し、神を責める
- 恥ずかしくなったのが罪の結果。この結果を予想していたら食べたか?
- 神に「どこ」と問われた時、人はすぐ謝るべきだったが「裸であるのを恐れて」と言い訳し、謝らなかった。
- 「食べたのか?」とまで追求されると、「あなたが与えてくださったこの女がくれたので」と、神と女を責め、自分は被害者を装った。罪は素直さを奪う。簡単に謝れなくなる。真実から遠くなる。だから恐ろしい。
4.土のちりに帰る
- 17-19節の神のさばきのことばは重い。罪の報酬は死。
- しかし神はあわれみ深い。21節には「皮の衣」をくださったとある。やがて死ぬ身であっても、生きる間は恵まれる。そして主イエスを信じる者には永遠のいのちもくださる。真実な神を恐れよう。
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