2020年1月5日 主日礼拝

創世記 1章24節~31節
國分広士牧師

1.神のことばによる世界の創造

  • 聖書の最初の記述は、神による世界の創造。ここから全てが始まる。 起源を知ることは、自分を理解する基礎。
  • 世界は「神のことば」で造られた。ことばは思想と意志の反映。神は世界を創造するという計画を持っておられ、それを実行する明確な意志を示しておられる。
  • 神の計画と意志は私たちにも及んでいる。私たちは計画的に存在させられた。神は私たちの存在を許すという意志を示しておられる。

2.神の似姿に造られた人間

  • 人間が単なる動物と異なるのは、神の似姿という点。それ以外は、本質的な違いはない。
  • 神を知らなければ、どこが似ているのかピンとこない。会ったことのない親族に似ているようなもの。聖書を読めば、神がどういう方かわかり、似ている点も発見できる。
  • 神は創造者。その特質が似ている者として、人には名付けの使命が与えられた。この世界に満ちる神の被造物のすばらしさを発見するのは、人間の喜びである。

3.神は良しと見られた

  • 4節、10節、12節、18節、21節、25節に、「神は…良しと見られた」という記述がある。繰り返し表現は強調であり、重要。
  • 31節には「非常に良かった」とある。神の創造は良かった。
  • 神の被造物を「よくない」と思う人もいる。たとえば病気をもたらす病原菌などは、ないほうが良いと思う。
  • それらが最初から病気の元として創造されたかは不明。菌は性質が変わる。人間の堕落以降に性質が悪くなった可能性もある。
  • もしも全てを神の創造の仕方のせいにするなら、人間が罪を犯したことも神の責任となる。そういう考え方は責任転嫁でありよくない。
  • 被造物には、自分で自分の歩みを選択できる自由が与えられたことに感謝しよう。被造物は良いものとして造られた。しかし良くあり続けるかどうかは自身の責任。私たちは責任ある生き方を期待されている。