2020年5月31日 主日礼拝

使徒の働き 2章
國分広士牧師

1.聖霊が注がれた

主イエスの昇天から弟子たちは一つになって集まっていた。1:15では120人集まっていた。当時の家は、数軒の家がコの字形の長屋状に建てられ、共有スペースの内庭を有していた。広い内庭に集まっていたのだろう。そうして皆が一緒にいるときに、聖霊が注がれた。

  • この時、聖霊は物理的に観測できる、響き(振動)・炎のような舌(視覚的現象)・他国のことば(音声)といった現象をおこされた。内庭は通りに面して厳重な門で守られているが、門が開いていれば出入り自由。このときには門が開いていたので、物音に驚いた外の人々が内庭に入って来たのだろう。

2.心を刺された

五旬節とは過越祭から50日目の祭(礼拝)。普段は外国に住み、過越からこの時までエルサレムに滞在するユダヤ人が多数いた。彼らの生活言語は各地のことばだが、内庭に入ると、自分の生活言語で語る人々がいることに驚いた。

  • ペテロが代表して語ったが、その趣旨は、
  1. この現象は預言の成就で聖霊が注がれた。(16-18)
    →聖霊は自分たちが神の意思を伝えている証拠。
  2. 神が与えたキリスト(救い主)であるイエスを、あなたがたは十字架につけて殺した。(23,36)
  • さらに驚くべきことがおきた。使徒たちの語る言葉を人々が素直に受け入れ、心を刺され、「どうしたらよいのでしょうか」(37)と導きを求めたのだ。聖霊は単に現象を起こすのではなく、人の心を変えられるのである。

3.一つにしてくださった

悔い改めた人々は洗礼を受け、弟子に加えられた。1日で3000人が真剣なクリスチャンになったのは聖霊の奇跡。彼らの信仰が本物であることは、そのあとに一致が続くことで示される。空間的にも経済的にも一つとなるのは、家族的な関係になったということ。それができたのは聖霊のわざ。

  • 私たちもこのような交わりにあこがれる。主のことばに心刺され、悔い改め、主にすべてを委ねる者たちが、一つとされていたことを心に留め、聖霊が注がれることを待ち望もう。