2021年2月14日 主日礼拝

マタイ 20章25節~28節
國分広士牧師

1.横柄な支配者たち

  • 支配者が権力を私物化し横柄にふるまう姿は、現在でも見かける。ロシア黒海沿岸のリゾート地、ゲレンジーク付近に存在する、推定1,400億円に相当する「プーチン宮殿」。本人は所有を否定しているが疑わしい。
  • 中国は7人に支配されている。人口14億人のうち中国共産党員が9000万人。共産党の中央委員会は376人。中央政治局委員は25人。最高指導陣の政治局常務委員が7人。彼らの権力は絶大で、下の者は逆らえない。
  • トランプ元大統領は退任演説で自身の業績を誇り、また戻ると宣言した。恐ろしいほどの自信家であり、そこに違和感を感じてしまう。

2.偉くなりたい者は皆に仕えよ

  • 「偉くなったら皆に仕えよ」と言っているのではない。それなら「公僕」である「偉くなった人や先頭に立った人」の持つべき心がけである。
  • ここでイエス様が言われているのは「偉くなりたい者」「先頭に立ちたい者」への教えである。実際に偉くなる人は限られる。しかし、偉くなりたいという願いは誰もが持つ。誰に対しても当てはまる教えなのである。
  • 実際に偉くなるかどうかは、自分の力を超えた問題である。自力で権力を勝ち取ったと思う人もいるだろうが、全ては神の計画による。神の選びによって、誰かが先頭に立てられるのである。
  • 白鳥などの大型渡り鳥はV字編隊で飛ぶ。先頭で飛ぶ鳥の後ろに起きる気流によって、後続は飛びやすくなるから。先頭に立つ者は、皆に仕えているのである。疲れ切らないように、先頭を入れ替わりながら飛ぶ。造り主によって鳥に与えられた知恵である。

3.人の子が来たのと同じように

  • イエス様は私たちを救うために、いのちを与えるために来られた。それは父なる神の計画。しかしイエス様は父の意思だからしかたなしにそうされたのではない。三位一体の神のみこころは同じ。イエス様の意思でもあったのだ。
  • 家畜を飼う仕事は、飼い主の方が立場が上なのだが、実際上は、家畜に仕える仕事である。子育ても、子に仕える態度が必要。人を救うみわざも、人に仕える姿勢が必要。その極致が十字架。被造物を心から愛するイエス様は、被造物にすぎない私たちに仕える者となられたのだ。
  • それと同じようにと主イエスは言われる。主が人を愛するように、隣人を愛し仕える人がいるなら、そういう人こそ、父は人々の上に立たせたいと思われるだろう。
  • 偉くなることが目的ではない。仕える者になることが目的である。誰を偉い立場に置くかは、父の選びによる。父によって置かれた位置が、ベストポジションである。与えられた位置で、人に仕えよう。