2025年7月20日 主日礼拝

エペソ人への手紙3章14-19節

國分 広士牧師

1.父に祈る

  • 主も、父に祈るように教えた。特にルカの主の祈り(ルカ11:2)では、修飾語をつけずに「父よ」と祈るように教えられている。
  • 祈りの対象が、身近なのか縁遠いのかでは、祈り方は大きく異なる。自分の祈りが受け入れられるという信頼があれば、大胆に祈れる。
  • パウロは膝をかがめて祈っている。自分の父と信じ頼るお方は、すべての創造者であり支配者であり裁き主なのだから。愛と恐れの両方が「父」に向けられるべき。

2.あなたがたを強めてくださいますように

  • 父は豊かに与えることができるお方。物質的な祝福だけでなく、私たちのために聖霊をお与えになり、私たちの心を導いてくださる。
  • 聖書には、絶望的な状況でも、心がしっかりとしていた人たちの経験がいくつも記されている。エジプト軍が迫ってきた時のモーセ。たった二人で大勢の敵に向かって行ったヨナタン。巨人ゴリアテと戦ったダビデ。ライオンの穴に投げ込まれたダニエル。それはその人自身の強さというより、聖霊の助け。主がともにおられるなら恐れはないという信仰。
  • とりなしの祈りにおいて、聖霊によって強められることを祈るのが、パウロの模範。

3.心にキリストを住まわせてくださいますように

  • 単に気が強いだけでは、正しい生き方をするとは限らない。むしろ、罪深さを顕著に表してしまう危険性がある。
  • 主イエスは「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)と言われる。
  • 主イエスを心に迎え入れ、主イエスとの深い交わりを持つようにとパウロは祈る。主イエスが入っても、静かにいるだけで、互いに沈黙しているのでは意味はない。常に主イエスに語りかけ、主イエスも自分に語りかけ、豊かな交わりを持ってこそ、意味がある。
  • 家族とは相互関係がある相手。親しい家族は、家族の思いもよく理解する。そうやってイエス・キリストがどういうお方なのかを知る機会を得るようにパウロは祈っている。

4.キリストの愛を知ることができますように

  • 聖書を読めば、知識としてはキリストの愛を知ることができる。しかし、実感はないかもしれない。実感は、実際にイエス・キリストと心の交流がないと、つかめない。
  • パウロの願うのは、実感を伴う理解であろう。キリストの愛を実感してこそ、喜びが湧いてくる。まずイエス・キリストを心に迎え入れる必要がある。そしてそのためには、聖霊の助けがいる。それらを満たすことができるのは父であり、だから父に祈る。

5.神の満ちあふれる豊かさで満たされるように

  • 私たちは器に例えられている。容量に限界があるので、すぐあふれてしまう。もったいないと思えば、限界までは満たさない。特に乾燥地帯のパレスチナでは、器から溢れ出る水や葡萄酒は、これ以上にない豊かな祝福と感じる表現。
  • 神は無限に与えることができる。あふれたものも、無駄に見えて実はきちんとした意味を神は持たせるのではないだろうか。
  • 父なる神を信頼し、期待し、父の与えた最高の祝福である御子イエスを心に迎え、キリストとの深い交わりを持ち、その愛を深く知り、神の豊かさで満たされますように。アーメン。