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2025年7月6日 主日礼拝
エペソ人への手紙 1章 17-19節
國分 広士牧師
1.私たちには、はっきり見えていないことが、色々ある。
- A <望み>神の召しによって与えられる望みがあることが、見えているだろうか。
- 望みがあると信じていても、その望みがどのようなものなのかは、見えているか?
- B <受け継ぐもの>聖徒たちに受け継ぐものがあることが、見えているか?
- 受け継ぐものが栄光に富んだものであることが、見えているだろうか?
- 栄光があると思っていても、どれほど富んだものであるかは、見えているか?
- C <神の大能の力>信じる者に働く神の大能の力があることが見えているか?
- 神の大能の力が優れていることが見えているか?
- 優れた力とはわかっていても、どれほど偉大なのかは見えているか?
- →こう書くパウロにはかなり見えていたということ。(参照コリント第二12:2-6 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。…)
2.「望み」「受け継ぐもの」「神の大能の力」とは?
- はっきりは見えなくても、おぼろげには意味するところを掴める。
- v3「霊的祝福」“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”とあるが難解。はっきり見えていないことの一つ。
- v4「世界の基が据えられる前から…聖なる、傷のない者にしようとされた」
- 再臨・最後の審判後の救われた者は、罪なき聖なる者となるに違いないが、その計画が天地創造の前からというのは、人間の理解を超える。
- v7「贖い、罪の赦し」これは一番大切な教えなので、深く理解している人が多い。しかし、贖いの理解ほどには他の事柄の理解は進んでいない。
- v8「私たちの上にあふれている、神の恵み」
- 神の恵みが自分の上に溢れている実感はあるだろうか?実感が伴わなくても恵みは溢れているはず。実感がないのは見えていないということ。
- v11「御国を受け継ぐ」
- 「御国」の理解は色々な可能性があるが、神の国であることは確か。神の国に入れていただくだけではなく、「受け継ぐ」すなわち自分のものとなるという夢のような話。
- v20(大能の力)「キリストを死者の中からよみがえらせ…ご自分の右の座に着かせ」
- v21-22「すべての支配、権威、権力、主権の上に…置かれ…すべてのものをキリストの足の下に従わせ」
- v23「キリストを…かしらとして教会に与えた」
- →こうした事柄が自明のこととなれば、信仰が強くなる。みことばを学ぶ意義の一つはおぼろげな理解が明確な理解へと深まること。
3.心の目を開くお方
- v17「知恵と啓示の御霊」・「御霊」に「知恵と啓示の」ということばが修飾されているので、v13-14の「証印」、「認証」といった表現との違いを意識させる。13-14節で語ろうとしているのは御霊がしるしとなってくださったということであり、17節は知恵を与え御心を明らかに啓示してくださるという、心への働きかけを語っている。
- 御霊が知恵をくださる。御霊が啓示を与え真理を示してくださる。これらの御霊のお働きによって、私たちの心の目が開かれる。
- 仏教のように修行を積んだり思索を深めることで目が開かれるという教えではない。主を愛する者が、神の御心、すなわち、神が今、何を考え、何を願い、何をなさろうとしておられるのかを、わからせていただくのだ。
- 人の意図がわかれば、言われなくてもその人の願いに協力できる。主の意図を理解し、率先してみこころに協力する者になりたい。「心の目をお開きください」と祈ろう。
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